第6章 パン好き女子のご家庭事情
ローが好きになった女は、鈍感だった。
以前に惚れられた男が犯罪者紛いの最低野郎だったからか、ムギは恋愛に対してひどく臆病に――いや、無意識に考えないようにしていると言った方が正しい。
だからといって、ムギの恋愛感情が死んでいるわけではなく、こちらから攻めて触れてみると、顔を真っ赤にして乙女らしい反応をする。
その反応が見たくてつい構ってしまうのだが、しかし、彼女はローに特別な感情を抱いているわけではない。
例えば今、映画が始まってからというもの、ムギの関心はスクリーンにだけ向いており、隣に座るローのことなど忘れ去っているように見えた。
(あいかわらず、可愛くねェ女だ。)
すっと伸びてきた手が、ローの持つポップコーンを摘まむ。
一瞬、その手を握って噛みついてやりたい衝動に駆られたが、楽しそうに映画を観るムギの邪魔をするのは忍びなくて、スクリーンの明かりに照らされる彼女の横顔を見つめるだけに留めた。
暗がかりのせいか、ムギの顔が少し青白く不健康そうに見える。
先日の風邪といい、弁当といい、彼女の私生活は順風満帆とは言えず、とりわけ栄養面については不安が残った。
放っておくと、ムギはパンだけで食事を済ませてしまうから、もっと栄養があるものを食べさせたくてしょうがない。
(ちゃんと食わねェから、そんな細っこい身体をしてるんだ。)
腕や肩、背中に触れた時、華奢だと思ったことは一度や二度ではなく、頼りない身体を確かめるたび、お節介にも食事を振舞いたくなる。
コラソンを除き、そんなふうに世話を焼きたいと思ったことなどなく、そういう意味でもムギはローにとって特別なのだろう。
特別な相手を、みすみす逃すつもりはない。
(まだまだ、これからだ。)
ムギに想いを寄せた痴漢男を生涯許しはしない。
しかし、その変態によってムギを手に入れる足掛かりを作れたのなら、その点だけは感謝してやってもいいと米粒ほどのありがたみを覚えていた。