第6章 パン好き女子のご家庭事情
バイト終わりの20時。
メールに書いてあったとおり、バラティエの前ではローが待っていた。
「どうも、お疲れ様です。」
「疲れてねェよ、今まで働いていたのはお前の方だろ。」
的確なツッコミにムギは笑うしかないが、他にどう挨拶すればいいのかわからなかったのだ。
人を待たせるという経験は、ムギにとってそう多くはない。
「……行くか。」
「はい。なんか、すみません。」
ムギの自宅までの道のりは、歩いて約20分。
送られるムギは片道だけで済むけれど、ローの所要時間は倍だ。
家庭の事情に巻き込んでしまい罪悪感が募るが、当のローはムギがなぜ謝るのかがわからない様子だ。
「普通だろ、これくらい。」
行き過ぎた世話焼きの彼にとっては、迷惑にも感じないらしい。
この恩はいずれ返すとして、ムギは自分の背後をゆっくりと振り返った。
(視線は感じないように思えるけど……、今日は来てないのかな。)
じっとりと粘着気味の視線は独特で、近くにいれば気がつきそうなもの。
ぎらりと光る目も見つけられず、ムギはほっと胸を撫で下ろす。
(ローがいるから、近づいてこられないのかも。)
もともとアブサロムは、臆病な男だ。
体格も良く、いかにも強そうなローを目にしたら、おいそれと近寄れないだろう。
「どうした、行くぞ。」
再び声を掛けられて前を向くと、目の前に手を差し出される。
「……?」
その意味を考えたムギは、なるほどと納得して鞄を開けた。
タクシー代だ。
送りはいいとしても、帰りはタクシーで帰りたいのだろう。
支払いは当然、依頼主であるムギの役目。
「ちょっと待ってください。細かいのあったかなぁ。」
「いや、待て。なんで財布を出してんだ。」
「え? だって、タクシー代ですよね?」
「そんなわけあるか、バカ。お前の頭の構造はどうなってやがる。」
わりとヒドイ暴言を吐いてから、ローは財布を持つ手とは逆の手を握って歩き出した。
「ちょ、手……!」
「付き合ってんだから、手くらい繋ぐだろ。それとも、文句でもあるのか?」
あります、と答えられたらどれだけ良かったか。
だけど現状、ムギたちは恋人同士であり、それを頼んだのは自分であることを忘れてはいけない。