第6章 パン好き女子のご家庭事情
最初は、冗談かと思った。
しかし、付き合いは短いながらも、ローがそういう類の冗談を言わないと知っている。
ゆえに、ムギは考える。
きっとこれは、ローのいつもの世話焼きなのだ。
「や……、そこまで迷惑は掛けられないですよ。今日助けてもらっただけで十分です。」
「俺がいいと言ってんだ。遠慮する理由なんかねェ。」
「でもですね、そうなるとローに被害があるかもしれませんし。」
「上等じゃねェか。やれるもんなら、やってみたらいい。」
不敵に笑むローは、腕っぷしに自信があるのだろう。
細身に見えて筋肉質な身体がそれを語っている。
(でも、恋人のフリを頼むなんて……。)
迷う素振りを見せるムギに、ローはさらなる追い打ちをかけてくる。
「いいのか? このまま放っておけば、バラティエに迷惑が掛かるかもしれねェぞ?」
「……!」
ローの追い打ちは効果てきめんだった。
ムギにとってバラティエは第二の故郷と言っても過言ではなく、ゼフたちが作るパンがなければ生きてはいけない。
今だって落ち着いていられるのは、貪る蒸しパンの味がムギを支えているからだ。
「それともお前、俺に不満でもあるのか?」
「うわぁ、すごい自信。」
顔が良く、頭が良く、体格も良い。
あえて言えば性格に難があるけれど、慣れてみれば優しいし紳士的。
ついでに料理上手ときたら、非の打ちどころなんて見つからない。
拝みたくなるような優良物件。
ローが相手なら、アブサロムも戦意喪失してムギから離れていく可能性が高い。
「不満がねェってことは、それでいいな?」
「不満はないですけど、でも……。」
「なら決定だ。今日から俺は、お前の男。……異論は?」
助けていただいている身なのに、なぜこうも追い詰められている気分になるのだろう。
瞬きすら許されないような威圧感に気圧され、ムギはごくりと喉を鳴らした。
「ない、です……。」
この瞬間、ムギの人生において彼氏いない歴が終止符を打つ。
平凡なムギには贅沢すぎる、仮初めの彼氏が誕生した。