第6章 パン好き女子のご家庭事情
「ひとり暮らし……?」
「ええ、まあ。今さらですけど、どうぞ上がってください。送ってもらったお礼に、お茶くらい出しますよ。」
すでに玄関まで上がっているローを促し、ムギがリビングへと誘ってくる。
誘いに応じながら、ローは今まで見聞きしたムギの言動を思い出していた。
朝も夜もパン屋で働くムギ。
熱を出しても外を出歩き、家族は帰ってこないと答えた。
ロー自身、両親と離れて暮らしているから、あまり不思議には思わなかったけれど、彼女の本当の事情は……。
「ちょっと、急に黙り込まないでくださいよ。言っておきますけど、わたしは自分が不幸だとか可哀想だとか思ってないですから。むしろ、けっこう幸せですよ。」
不用意にデリケートな部分に触れてしまったローを気遣ってか、ムギは肩を竦めて笑ってみせた。
そういう態度を自分がさせてしまったのだと思うと、情けなくて許せない。
「悪かった。」
「だから、そういうんじゃないってば。」
「……で、さっきはなにがあった。」
「あー……、忘れてなかったんですねぇ。」
うやむやにしたかったのだろうが、そうはいかない。
彼女の家庭事情と、様子がおかしかった件はまったくの別問題。
はぁ……と重いため息をついたムギは、リビングのカーテンを少しだけ捲って外の様子を窺った。
「……最近、なんというか、知り合いにつけ回されてまして。」
「男か?」
「あれ、信じるんですか? わたしみたいなの、つけ回すやつなんかいないって言われるかと思ったのに。」
「質問に答えろ、男か?」
そういう自虐的な発言は好きじゃない。
ムギが自分のことをどう評価しても構わないが、ここにひとり、惚れてしまった男がいると主張したくなる。
容姿だけで言うなら、ムギはそれなりに可愛いと思う。
くりっとした丸い目なんかは、本当にレッサーパンダを連想させる愛嬌がある。
その分、まったく思いどおりにならない性格や態度は可愛くないけれど、そんなところが真逆に愛おしいと思うのは、全世界に自分だけであってほしい。
そう願っているのに、彼女はローの問いに頷いた。
ムギをつけ回しているのは、予想どおり、ローが知らない男だったのだ。