第6章 パン好き女子のご家庭事情
まったく人生とは、どう転がるかわからない。
この日ムギは、他人の運命を左右する現場に初めて立ち会った。
「ベーカリー バラティエ? 聞いたことがないパン屋ね。」
「チェーン店じゃなくて、個人店なので。出店も一店舗だけですし。」
「……ふぅん。」
あまり興味がなさそうなプリンに、ムギは内心ほくそ笑んだ。
そんな顔をしておいて、パンを食べたらびっくりするぞ……と。
しかし、ムギの驚きはパンとは別のところで発生することになる。
「お疲れ様です!」
「あ、ムギちゃんお疲れ~!」
ムギの声を聞きつけてひょっこり顔を出したサンジは、隣に立つプリンを目ざとく見つけ、目をハート型にして飛んできた。
「なになに、ムギちゃん! 友達!? なんてビューティフォーな子を連れているんだ!」
「……は?」
バレエダンサーの如く優雅な回転をしながら、サンジがプリンの前に跪く。
眉を顰めて戸惑うプリンの手を恭しく取ったサンジは、滑らかで白い手の甲にそっと唇を寄せた。
「なんて美しい手だ、まるで女神の御手のよう。この手で作られる菓子は、きっと楽園の果実のように甘く繊細な味がするはずだ。俺は禁断の果実を齧る、アダムになりたい!」
あいかわらず、意味不明な口説き文句とキザったらしいパフォーマンスだ。
いかにプリンであっても戸惑うだろう。
間に入るべくムギが立ち回ろうとしたら、プリンが喉を震わせて声を絞り出した。
「な……、どうして……、私がお菓子を作っているとわかったの……?」
「え、だって、君の手からはチョコレートの匂いがする。それに、この手は職人の手だ。」
プリンがお菓子作りを趣味としていたなんて、ムギは初めて知った。
女の子らしい特技なのに、彼女は合コンでもそれをアピールしていなかった。
実はそれだけお菓子作りに本気で、なおかつ家族には反対されているのだとムギは知らず、言い当てられて頬を真っ赤にさせたプリンは、狼狽しながら目を吊り上げた。
「な、なによあんた! 私が職人? ば、馬鹿にしないでちょうだい! ふん!」
頬を真っ赤にさせながら店を飛び出したプリンを、ムギは不思議な面持ちで見つめた。
プリンはこの日、人生最大の恋に身を投じたのである。