第5章 見返りはパン以外で
ムギが隣の席をぽんぽん叩くと、ようやくローも腰を下ろす。
隣に座られるのも心臓に悪いが、目の前に立たれるよりかは遥かにマシ。
「立つのが好きなんですか?」
「そんなわけねェだろ。……ただ、お前が逃げそうな気がしただけだ。」
「はい? 逃げませんよ、野良猫じゃないんだから。」
「どの口が言う。この前は避けていたくせに。」
ローの指摘に心臓がぎくりと跳ねた。
この前とは、いつのことを指しているのだろう。
合コンの日か、風邪を引いた日のバラティエ帰りか、それとも、もっと別の……。
なにしろ、心当たりが多すぎて。
でも、しかたがないと思う。
ローの眼光は同じ高校生とは思えないほど鋭くて、つい逸らしたくなってしまうのだ。
特に最近はそれが顕著で、じっと見つめられると息が詰まるような、いたたまれなくなるような、とにかくムギの心を騒がせる。
「否定はしませんけどね。そんなに目つきが悪いんですもん、逸らしたくなるのもしょうがなくないですか?」
「……可愛くねェな。」
「わたしに可愛さを求めないでください。」
プリンならば愛らしく見つめ返したりするのだろうが、そういう芸当はムギには無理だ。
こうして普通に喋れるようになっただけ、ずいぶん成長したと思う。
「わたしだって、ベポさんくらいつぶらな瞳の人なら、もっと仲良く話せますよ。」
合コンで知り合ったベポは、ムギにとって珍しく気が合う男性だった。
森のクマさん的雰囲気がそうさせるのか、もう一度会えたなら、連絡先を交換してもいいと思えるほど印象が良い。
素直にそう話したら、ローの眉間に数本の皺が寄り、あからさまに機嫌が悪くなる。
「お前、本当に可愛くねェな。」
「え、今のはけっこう可愛い発言じゃなかったですか?」
「可愛くねェ。」
それっきりそっぽを向いてしまったローは、機嫌悪くむっつりと黙り込んだ。
なにがそこまで彼の機嫌を損ねてしまったのか首を傾げつつ、ムギはおとなしく電車に揺られたのだった。