第1章 とにかくパンが好き
バラティエの来客ピークは昼間で、次いで朝。
三時を過ぎると客の数は減ってくるが、バラティエは店内にイートインスペースを設けており、コーヒーを飲みながら語らう場としても人気がある店だった。
夜が近づくにつれ、客が夕食用や翌朝用のパンを求めて忙しくなり、厨房のゼフも売り子のムギもせわしなく働く。
この場にもうひとり従業員がいるともう少し楽になるのだが、四人でシフトを回しているため、そうもいかない。
「ただいまメロンパン焼き立てです。いかがですかー?」
売り子はレジだけではなく、パンの陳列や残数の確認も担当する。
バラティエのパンは種類が多いので、ひとつひとつ値段や名前を覚えるのは大変だけど、パン好きのムギには苦にならない。
「ムギお姉ちゃん、こんばんは。」
「あ、リカちゃん。こんばんは。」
頻繁にシフトに入っていると、常連の顔はすぐに覚える。
それは向こうも同様で、親しみやすいムギに声を掛けてくれる客はけっこういた。
「今日のクリームパン、お顔書いてないんだね。」
「え? あ、本当だ。……てんちょーッ、クリームパンのデコレーション、サボりましたね!?」
厨房に向けて叫んだら、倍近い勢いで怒鳴り声が返ってくる。
「うるせーッ、俺は味で勝負なんだよ!」
「商品は統一化してくださいってお願いしたじゃないですか、もう!」
「じゃあ、お前が描きな!」
「え、いいんですか?」
本当にやってやろうか……と一歩前に進んだら、間髪入れずに否定の声が飛んできた。
「冗談だ、馬鹿野郎! お前に任せたら、パンがピカソの絵みたいになっちまう!」
「それは……、芸術的すぎるっていう意味で?」
「下手すぎるって言ってんだよ!」
ド直球な言い方をされ、思わずムギは頬を膨らませた。
パン好きなムギだが、パン作りの才能には恵まれず、せいぜいサンドイッチを作るくらいが限界だ。
「ふふッ。ムギお姉ちゃん、頑張ってー。」
「うん、ありがと。」
漫才のようなやり取りに、リカもリカの母親も笑った。
以前は店長が怖いと噂されるバラティエだったけれど、ムギが働くようになってからは雰囲気が一変し、こうした漫才も一種の醍醐味だと思われているとムギだけが知らなかった。