第1章 「あの男」
バカ、私!いくら相手が上司で意識する
対象に入ってないとはいえ、男性の前で!!
ヘクソカズラとか口走るのって
女としてどうよ?!屁糞って!!
そりゃ部長も引くっつの!しかも私
別名もちゃんと知ってんじゃないの!
何故!何故せめてヤイトバナと言えない!
(ちなみにヤイトバナというのは、中心のえんじ色をお灸(きゅう)の火に見立てた名前だ)
しかし、とっさに口から出るのはやはり
人口に膾炙(かいしゃ)した名前になるのは
致し方ないところで......
リヴァイ!あんたのせいだ!
さやかは自分にささやかな
植物のあれこれを覚え込ませた男に
罵倒(ばとう)を横滑りさせた。
別れる男に、
花の名を一つは教えておきなさい。
花は毎年必ず咲きます。
ある歴史上人物はそんな言葉を残したそうだ。
ロマンチシズム?リリシズム?
いいやそんなもんじゃない、と
さやかは内心で決め打ちした。
その発想は一言で言って女々しいという!
しかも、女では絶対に考えつかない。
そもそも、別れる男の記憶にそんなふうに
自分を刻もうなどとは思わない。
女の恋は上書き式、男の恋は保存式。
女はどれだけ引きずろうと
悪あがきしようと、
次の恋が見つかって
走り出したら昔の恋人なんて
思い出から記憶に格下げだ。
そうよ、
こんな女々しい格言を残してくれたせいで
あんたの没後三十数年、罪なき女が
一人こんなところで要らん恥をかくのよ!
とはいえ......
さやかは小さく溜息をついた。
別れたとも言い切れないんだよなぁ、
あの男は。何しろ......
いきなり消えたまま
行方が分からないんだから。
ていうか、あの男と私の間には
何かがあったのか?そもそも。
「河野くん、そろそろ行こうか」
部長に声をかけられ、さやかは
『はいっ』
とせめて景気良く返事をした。