第6章 845の化け物
—845年、春.
エリナは春を迎え30歳になっていた。
1つ歳をとったからといって何かが変わるわけでもない。
相変わらずキッツの下で汗を流しては罵声に耐え、リコやアイと憂さ晴らしの飲み会を開き、マスロヴァのもとで愚痴る日々。
ただ少し変化があるとすれば調査兵団の存在だ。
右手に握る新兵器の図案がエリナの日々にささやかな喜びを与えた。ちょっとずつだが、固定砲改良の目処が立ちだした事で自分の仕事が目に見える形で役に立っている、それが嬉しくてたまらない。カルロ以外とは縁がなかった調査兵団に所謂、“仲良し” ができたこともエリナの仕事熱心さに拍車をかけた。
「マスロヴァ技巧長!お待たせしました!」
勢いよく技巧部の扉を開けるとマスロヴァの他1名、今年からマスロヴァの副官として配置された男、サギド・ミトコフがいた。
エリナより僅かだけ高い背丈に、最低限の筋肉さえないであろう細い身体は兵士として心許ないが、研究熱心さと開発の成果で副官まで抜擢されたのだ。
「やぁエリナ。お使いご苦労様」
マスロヴァは粉塵で汚れた手を、決して綺麗ではない布で形だけ拭きエリナが持ってきたハンジの図案を受け取った。
試作と図案を見比べ、変更点を確認しだした彼に周囲の音は入らない。片手に図案、ゴーグルは頭上、頭を掻きだしたらそれが合図。いつもならエリナは邪魔にならないようにそっと抜け出すのだが、今回はもう一人の男に呼び止められた。
「エリナ、君は最近調査兵団と仲がいいみたいだな」
「そうですかね?仕事ですから」
敢えて要点だけ答えたのは、この男との関わりを最小限にとどめたかったからだ。正直、エリナはこの男が好きではなかった。寡黙で害がないように見えるが蛇のような吊り上がった目は、気が付くとエリナを見ている。何か隠し事をしても見透かされ、逃げようとしても逃げられない・・そんな想像をさせる男だ。