第9章 《リヴァイ》 初めて涙を流した日
じめじめと陰気臭く淀んだ空気が漂うここは王都の地下街。
今日もまた、硬いパンを小脇に抱えその扉に手をかけた。
ギィ…と軋む音がする古びた一枚板の奥には窓のない六畳ほどの部屋。
この地は元々陽の光など届かない。だから窓はあってもなくても同じだ。
しかしその部屋は暗い地下街のそれとは全くかけ離れているような明るさを放つ異質な空間で、ここへ来るたび柄にもなく俺の胸は弾んだ。
「おはよう、リヴァイ」
キャンバスの隅から満面の笑みを覗かせる女の名はエマだ。
「もう夕方だぞ」
「え?もうそんな時間?!」
エマは慌てた様子で俺の頭上に目をやる。
時計の針はやはり夕刻を指していて、エマは呆れたように笑った。
「また描いてたのか?」
「うん、夢中になってるとすぐだね。時間なんて忘れちゃうよ」
「遅くなったが今日はそこそこ良いやつだ。どうせまだ何も食ってねぇんだろ?食え」
「アハハ、ご名答!…いつもありがと。頂きます」
両掌をぴったり合わせ丁寧に“いただきます”をして、受け取ったパンをちぎり少しずつ口に運ぶエマ。
“そんなに見られてたら食べにくいよ”と言われたので、次はエマが向かっていたキャンバスを覗き込んだ。
「ほう…なかなかの大作だな。」
「んふふ、ありがと!これはねぇ、」
デカデカとしたキャンバス…とは言っても質の悪いぺらぺらの紙一枚なのだが、そこに描かれていたのは紙いっぱいに大きく広がった枝に、一つ一つ繊細に描かれた桃色の花弁。
“サクラ”
エマが口にしたその花、サクラが描かれたこの一枚の絵は、不思議とリヴァイの心を惹きつけた。
「木が一面花をつけることもあるのか。」
「そうみたい。花びら一枚一枚はうっすーらピンク色だけど満開になると木全体がこうやって鮮やかなピンクに染まるの。それでね、サクラは散る時が一番綺麗なんだって。」
キャンバスを見つめるエマの目は生き生きと輝いている。
俺はその輝きに目を細め、改めてゆっくり部屋全体を見渡した。