第16章 夕暮れの微熱
「別に、迷惑だなんて思ってない。」
『でも。』
「いいって言ってるでしょ。迷惑だって思ってたら、今日こんな風に来たりしないから。」
蛍はそう言うと、私の頭をポンポンと撫でた。
なんだかその仕草に、申し訳ないような、でもどこか嬉しくて安心するような。そんな複雑な気持ちになって、目じりが少し熱くなった。
「あぁ、そういえば。親に出すプリント、今日預かってきたからもう撫子さんに渡したよ。」
『あ、そうなんだ。何から何までありが……え。…撫子さん?』
「撫子さん。」
『…蛍、私のお母さん知ってるの?』
突然蛍の口から出てきた自分の母親の名前に驚いて首を傾げる。
さも当然とでもいうように自然に出てきたものだから、危なくそのまま流してしまうところだった。
「引っ越してきた時の挨拶で少し話したし。外でたまに会ったりしたから。」
『そうだったんだ。ビックリしちゃった。』
「外堀も埋めようと思ったし。」
『え?』
「別に。…じゃあ僕、そろそろ帰る。」
『あ、うん。蛍、本当にありがとう。』
「ん。明日は学校来るんだよね?」
『うん、そのつもり。大会も近いし、やりたいことも沢山あるし。』
「ちょっと、本当に無理しないでよ。」
『うんっ。大丈夫っ。』
「…の大丈夫って宛てにならないんだケド。」
『そ、そんなことないよ、大丈夫っ。』
「ふーん。まぁ、ゆっくり休みなよ。」
蛍は、じゃあ、と言うと立ち上がってまた私の頭をポンポンと撫でて、私に背を向けた。
せめて玄関まで送っていこうと布団を押しのけて立ち上がろうとすると、蛍に静止された。少し肩を押さえられただけだったけれど、ずっと寝ていた体は思ったよりもコントロールがきかなくて。
あっけなく私はポスンとベッドへと座り直してしまった。
「ゆっくり休みなよって言ったところでしょ。ちゃんと寝てて。僕のことはいいから。」
『は、はい。』
私が返事を返すと、蛍はほんの少しだけふわっと笑って私の部屋を後にした。
カチャッと音をたてて閉まる自室の扉。何となく、人が減って部屋の温度が下がったような気がして寂しくなる。