第1章 天下人の女 【織田信長】 《R18》
途中、何度か転びそうになりながらも。
城内を走り抜け、玄関口を掻い潜り、
安土山の中腹まで来たところでやっと足が止まって……
人影の有無を確認しているのか、信長様はしきりに周囲を見回していた。
「ふむ、ここらで暫し身を置くか」
「はぁ…はぁ…こんな近場が目的地…っ?
この世の果て、って言うからてっきり遠くまで連れて行かれるのかと…」
「あれはただの洒落に過ぎん」
あれだけ疾走したにも関わらず、息を切らすどころか余裕溢れる清々しい佇まい。
対照的に、呼吸を整える事に精一杯の私は壮大な洒落に巻き込まれたのだと悟った途端、がくっとその場にへたり込んだ。
「ところであのぉ…一体何の為に逃げてるんですか…?」
恐る恐る尋ねてみると。
信長様はおもむろに懐をまさぐって何かを取り出す。
こちらへ向けて掲げられたのは……
「これだ」
綺麗な刺繍が施してある布地の袋。
広げると、その中には色とりどりの塊が密集していた。
「これは、金平糖…」
「常々ありとあらゆるところに隠し保管してあるのだが、うっかり猿に見つけられてしまってな。
是が非でも死守せねばと彼奴から逃れてきた」
猿って…あ、秀吉さんか。
「甘味の食い過ぎは身体に毒だと言って俺から搾取しようと躍起になっているのだ。
さて、次の隠し場所は何処にするべきか…」
なにやら真剣な表情で金平糖を口に放り、ぽりぽりと小気味良い咀嚼音を鳴らすーーー
私はただただそれをポカンと見つめていた。
……
えーと、えーと……
そんな小さな子どもみたいな理由で秀吉さんから逃げ回ってたの?
偉大な武将として後世にも名を轟かすほど圧倒的なカリスマを誇る信長様が?
怖い雰囲気とは裏腹に、こんな可愛らしいお菓子が好きだったとは……
なんか、
なんか……
もはや金平糖よりも信長様の方が……
「か…、…」
「ん?どうした」
「…っ、い、いえ、なんでも…」
明後日の方向へ顔を逸らし、込み上げてくる笑いを誤魔化してみる。
言えやしない……
可愛い、なんて口が裂けても言えやしないよ。
ああでも、可笑しくてどうしようもない。
駄目だよ…笑っちゃ駄目…
私は笑える身分じゃ……!
そう己に言い聞かせつつも、
肩を震わせ必死に耐えていたのだけれど。
努力も虚しく、ついに吹き出してしまった。