第1章 幼き日々
この世界は不安定だ。個性は未だ確立されたものではなく、自身の力を振り翳す犯罪者も多い。そんな世界の中で、オールマイトは皆の「希望」だった。文字通りの「本物の英雄」である彼に、人々は縋りつき、祈った。
平等で、優しい、平和な世界を。たった一人の人間に、世界中の人々の願いが一心に積み上げられていた――――そうして、本当の英雄に憧れる少年が、一人。
「白、早く。オールマイトの番組が始まる」
私の手首を掴んだまま、小さな体の全力で帰り路を駆け抜ける少年。私より頭一つ分小さな彼が、血染ちゃん。私にとって三歳年下の幼馴染であり、オールマイト憧れる、赤黒血染ちゃんだ。
「血染ちゃん、そんなに急がなくても大丈夫だろう?お父さんが録画してくれているんだから」
「父さんは信用ならない。以前にも録画できたと言って一つ前の番組が録画されていた」
子供の癖に「信用ならない」なんて難しい言葉を使う血染ちゃんは、生意気で可愛らしい。血染ちゃんは「何を笑っている?」と、不満そうな顔をして私を振り返る。急いでいるのならば、私の手など振り払って先に帰っても良いのに。おばさんから言われた「白ちゃんと一緒に帰って来てね」を守っているのだ。
「血染ちゃん。私のこと、置いていっても良いんだよ。血染ちゃん一人の方が、走るのも早いでしょ」
「お前を置いてはいけない。白は女だ、帰り道で変質者に襲われては大変だろう」
「今の時代、変質者の標的に男も女もないよ、血染ちゃん。それに、血染ちゃんの方が私より子供だ」
年下を守るのは年上の役目だ、と、私が言えば、血染ちゃんは目を丸くして、それから柔く笑った。
「白も俺を守ろうとしていたのか。ならば、俺達は対等だな。背を預けるに相応しき同胞というわけだ」
「どうほう?血染ちゃん、難しい言葉を知っているね」
血染ちゃんの言葉は難しく、当時の私には良く分からなかったが、それでも血染ちゃんが私を「どうほう」と呼んでくれたことは嬉しくなった。
「急ごう、血染ちゃん。オールマイトが待ってる」
「ああ。俺の家で、共にオールマイトの偉業を称えよう」
二人で帰り路を駆けたあの頃が、思えば私の恋情の日々の始まりであり、失恋の日々の始まりに違いなかった。血染ちゃんは、ヒーローに焦がれていた。血染ちゃんは自分の全てを「本当の英雄となる日」に捧げていた。
