第35章 届かぬ掌 ※
湿気臭く薄暗がりの部屋に窓は一切無く、時折どこかでポチャンと水の滴る音がする。
エマに与えられた“部屋”は、兵舎のそれとはかけ離れている。床も壁も冷たい石で覆われ、隅に硬いベッドがひとつあるだけ。
鉄格子の向こうには通路を挟んで同じような部屋がもうひとつあるが、住人はいないようだった。
舌を噛まないようにまた布を噛まされている。動きを封じられているのは両手だけだが、拘束具が壁と鎖で繋がっているせいで鎖の長さだけしか移動できず、自由はない。
ここはいわゆる、“牢獄”なのだろう。
壁外から侵入した人間だと疑いをかけられ、幽閉されている。
窓もなく昼か夜かも分からない。時間の感覚は運ばれてくる食事と、トイレに行った時小窓から差し込む光があるかないかで推測している。恐らく連れてこられてから一日以上は経っている。
逃げ出すことは不可能に近いかもしれない。
拘束されているし、仮にそれを解けたとしても牢の外には見張りの目がある。怪しい動きをしようものならすぐに見つかってしまう。
それでもエマは考えていた。
絶望と恐怖を打ち払いながら、この状況を打破する方法を必死に模索している。
例えばトイレに行く時、食事の時。
トイレは唯一外へ出られる。だが手首の拘束は外してもらえないし、見張りの兵士に監視されている。
食事は牢獄の中へ持ち込まれる。外へ出ることは出来ないが、手首の鉄輪が外される。つまり完全に体の自由がきく。ただ、これもすぐ側で見張っている兵士を切り抜けなければならない。
それに牢獄の脱出に成功しただけではダメだ。
その先、この建物から出て追手の届かないところまで逃げ切らなければ意味がない。
考えると気の遠くなるような話だ。
だがここで諦めては状況は変わらないどころか、きっと悪くなるばかり。
とにかく考えて、出来うることはやってみなければ。
コツコツと石の床を蹴る音が近付いてくる。エマは俯いていた頭を上げた。
牢屋の扉がキィと鳴って開き、入ってきたのはここで唯一顔見知りの人物。
「ご飯の時間ですよ」
「…」
エマは瞬きひとつせず入ってきた男一一アデルを目で追った。
トレーをベッドの足元の方へ置き、その隣に腰掛ける。
アデルが顔を上げれば、至近距離で視線がかち合った。