第32章 北の地にて ※
今日から全兵士は連休だ。
明後日からの合同演習を前に帰郷する者や街へ繰り出す者、各々自由に羽を伸ばすことだろう。
兵団内もゆったりした空気が流れているが、エルヴィンだけはいつも通り右手を動かしていた。
無造作に積まれた紙を破棄するものと保管しておくものに振り分ける。
普段は中々書類整理にまで手が回らないため、休日を使ってやるしかない。
用紙を確認していると見覚えのある名前に目が止まった。
“アデル・モーラー”
2週間ほど前依願退団を申し出た新兵。エマを襲おうとしたあの兵士だ。
彼は退団届を出した翌日ここを去った。
新兵とはいえ貴重な戦力を失ったことは痛いが、やはり規律を乱したことは許されない。
しかも事件の前の晩、リヴァイが一度釘を刺したにも関わらず行為に及ぼうとしたのだ。どのみち退団処分は避けられなかった。
エルヴィンはアデルの入団希望書を破棄するものの箱に入れ蓋をした。
机の上は粗方片付いたか。
まだ午前も早い時間だし、一旦茶でも飲んでから続きをするかと席を立つ。
簡易キッチンに向かったはいいが紅茶の葉を切らしていたことに気付き、茶葉を拝借しようと談話室へ向かった。
「あ!団長、おはようございます!」
「おはよう」
階段を降りる途中でばったり会ったのはエマ。
花のような笑顔に自然と顔は綻ぶが、エルヴィンは彼女を見てすぐに変化に気がつく。
「どこかへ出かけるのか?」
「はい、少し」
女らしく着飾った少女に問えば照れたような顔をして答えた。
これはわざわざ聞かなくてもそういう事なのだろう。エルヴィンは柔らかく微笑む。
「そうか、楽しんでくるといい。」
「はい!ありがとうございます。団長も少しは羽を伸ばしてくださいね。」
満開の笑顔で言い残し階段を駆け上がる背中を見つめながら、エルヴィンは2月に行った菜の花畑を懐かしく思い出していた。
あの時もエマは可愛らしく着飾っていたが、今日はそれよりも一段とキラキラと輝いている気がした。
恋は女を綺麗にするというそれのせいなのか、はたまた自分の目が彼女を魅力的に映し出しているのか…
どちらなのかは分からないがエルヴィンの心はほっこりと温かく、エマにとって素敵な休日になればいいとそう思ったのだった。