君の声が聞きたくて 〜Your voice〜【気象系BL】
第10章 trill
雑踏の中で、不意に櫻井さんの名前を呼ばれたて振り向いた瞬間、すぐにその人が櫻井さんの元彼女だって分かった。
俺だってそんなに鈍感じゃないから、その人が櫻井さんにとってどんな存在の人だったかなんて、二人の顔を見りゃ分かる。
凄く綺麗な人で…、櫻井さんと並んだら、きっとお似合いなんだろうな、って…
だから咄嗟に繋いでいた手を離した。
本当は行き交う人の波が怖くて堪んなかったのに、その人が俺に向ける視線の冷たさが、より一層俺の不安を煽った。
そして櫻井さんの口から発せられた、「友達」と言う言葉が、俺の胸にチクリと刺さった。
「恋人」なんて、簡単に口に出来ないことは分かってる。
口に出した瞬間から、自分を取り巻く環境が一変することを、俺は良く知っている。
今までずっとそうだから…
櫻井さんみたいに、普通に女が好きで、世間的にも申し分のない場所にいる人なら、尚更「恋人は男です」なんて言えなくて当然だ。
でも、それでも…、と願ってしまうのは、俺の我儘なんだろうか…
元彼女だって人と別れた後、すっかり笑顔の消えてしまった櫻井さんと、錆び付いたベンチに並んで座った。
さっきまで、爆音と共に打ち上がる花火の存在も忘れて、何度も何度もキスを交わした、あの時のような甘い空気は、今の俺達の間にはない。
あるのは、重苦しい空気と、それを気に止めることなく泣き続ける蝉の声だけだ。
その中で、櫻井さんは夜空を見上げ、一つ息を吐き出すと、ポツポツと…ともすればセミの鳴き声にも負けてしまいそうな、小さな声で話し始めた。
俺はそれに、当然だけど黙って頷くしか出来なくて…
でも櫻井さんの口から指輪の話が出た時、俺はあの雨の日、俺の目の前に差し出された小さな箱のことを思い出した。
そっか…、冗談のつもりだったけど、あの箱の中身は本当に指輪だったんだ…
彼女に渡すために、櫻井さんが選んだ指輪…
今思えば、きっと誰でも良かったんだと思う。
行く宛てを無くしてしまった指輪を受け取ってくれるなら、相手は誰でも…