第9章 tempo rubato

定食屋を出た俺は、松本を待つことなく会社に戻ると、契約に必要な書類を専用のファイルに綴じた。

書類に不備がないか、何度もファイルを開いては確認を繰り返してから、ブリーフケースに突っ込んだ、丁度その時、

｢もお、置いてくとか酷くない？｣

俺に置いてきぼりを食らった松本が、不機嫌丸出しの顔と口調で俺のデスクを、トンと叩いた。

つか、原因はお前だっつーの！

まあ…、あのタイミングで話を切り出した俺にも、若干の責任はあるけど…

｢ほら、行くぞ？ とっとと行って、さっさと契約済ましちまおうぜ？｣

｢えっ、ちょっと待ってよ…｣

情けない声を上げ、忙しなく支度を始める松本に、社用車のキーを投げる。

見事にキャッチした松本は、椅子の背凭れにかけてあったジャケットを引き取ると、早足で俺の後を着いてくる。

けど…

｢お前、足…、内股になってんぞ(笑)｣

｢え、嘘っ… ？｣

松本自身は気付いていないようだが、松本は慌てるとつい内股気味になって歩く癖がある。

傍から見れば気にしたことではないんだろうけど、松本が週末ドラッグクイーンをしてることを知っている俺は、どうしても気になってしまう。

｢あ、それと今日なんだけど、俺直帰の許可貰ってるから、帰りマンションまで送ってくれるか？｣

｢いいけど…、櫻井だけズルくない？｣

シートベルトを締めながら、松本が口を尖らせるけど、松本には社用車の返却と言う、重要な役目があるから仕方がない。

それに、

｢日頃の行いってヤツじゃないか？ 俺、お前と違って真面目だし(笑)｣

別に松本が仕事に対して不真面目ってわけでもないが、どうしても外見的に真面目そうに見える俺は、意識しているつもりはないが、周りからの評価は割と高い方だ。

｢そう言えば来週有給取ってたけど、旅行かなんか？｣

｢ああ、うん…、ちょっとな？｣

｢もしかして智と…じゃないでしょうね？｣

｢べ、別にどうだって良いだろ？ ほら、ちゃんと前見て運転しろって！｣

ったく、勘の鋭い奴はこれだから困る。