君の声が聞きたくて 〜Your voice〜【気象系BL】
第1章 misterioso
…のは良かったんだけど…
まさか彼のアパートが、俺のマンションとは全く逆方向だったとは、俺自身想定外で…
でも、彼のアパートに向かって走り出したタクシーを止めるわけにもいかず…
しかも、だ…
運転手にアパートの住所を告げた途端に、彼は大欠伸を一つしたかと思うと、数秒後にはそれは気持ち良さそうな寝息を立てて、俺の肩に凭れかかって来た。
嘘だろ…、この状況で、しかも初対面の男の肩に凭れかかって寝るかね、普通…
心の中で悪態を着きながらも、キャップを外した彼の髪から香る甘い匂いと、フワリとした猫っ毛に首筋を撫でられると、そう悪い気はしなくて…
寧ろ、そうだな…、初恋の時のような…、何とも言えない胸の高鳴りを覚えた。
相手はれっきとした男なのに…
やがて俺達を乗せたタクシーは、人気も…街灯すら疎らな住宅街の一角に止まった。
「お客さん、着きましたよ」
運転手に言われて、俺は彼の肩を揺する。
すると彼は瞼を何度か擦った後、キョロキョロと窓の外に視線を巡らせた。
「着いたって…」
俺が言っても、まだ夢見心地なのか、彼はボーッとしたままで…
「どこ? 良かったら送るよ?」
ここまで来たんだ、料金を気にしたって仕方ないし、タクシーは待たせておけば良い。
俺は彼の腕を引いて、タクシーを降りようとした。
でも、
「大丈夫…、一人で帰れる…」
彼は覚束無い足でタクシーを降りると、前髪を掻き上げ、手に持っていたキャップを目深に被った。
「ありがと…、助かった…」
ドア越しに彼が頭を軽く下げる。
「いや、俺は別に…。あ、それより君、名前は…?」
「俺…? 俺は、智…大野智…」
それだけを言うと、彼は踵を返し、ゆったりとした足取りで歩を進め始めた。
「俺は櫻井翔…。また、あの場所で会えるかな…」
なんでそんなことを言ったのか…、正直俺にも分からない。
でも彼の…大野智の歌が聞きたいと思ったのは本音で…
「ふふ、運が良ければね?」
振り向いた彼の、ほんの一瞬見せた笑顔に、心を撃ち抜かれたのも事実で…
それが、智との始まりだった。
「misterioso」〜完〜