君の声が聞きたくて 〜Your voice〜【気象系BL】
第7章 adagio
揶揄われてんじゃないか、って…
試されてんじゃないか、って…
ついさっきまで感じていた、怒りにも似た感情は、いつの間にか消えていた。
いや正確には、完全に消えたわけではないけど…
でも、今この腕の中にある温もりを手放したくない、そう思った。
だからかな…、大野君を抱きしめた腕に自然と力が入って…
「あ、えっと…、ご、ごめん…」
胸をトンと叩かれて、漸く大野君を解放した。
つか俺、マジで何やってんだろ…、こんな強引なこと…
「苦しかった…よね? ごめんね? 驚かせちゃった…かな?」
心配になって顔を覗き込んでみると、大野君は目を見開いたまま、顔を真っ赤に染めていて…
でもその手は、俺のシャツをキュッと掴んでいて…
「大野…君…?」
俯いたままの彼に声をかけると、唇が微かに動いて、シャツを掴んだ手に力が入った。
『もう少しだけ、一緒にいて…』
俺の見間違いじゃなければ、大野君の声なく唇はそう語っていた。
「俺で…良いの…?」
小さく頷いた大野君は、急かすでもなく俺の手を引いた。
「じゃあ…、少しだけお邪魔しようかな…」
大野君の手に促されるまま、俺は靴を脱ぎ、大野君の匂いが溢れる部屋へと足を踏み入れた。
パイブ製の小さなベッドと、折り畳み式の小さなテーブル、洋服なんかを仕舞うためのプラスチックケースに、三段のカラーボックス…
それ以外は何もない部屋。
そこに恋人の気配は、一つも感じられない。
大野君はハッキリとは言わなかったが、もうこの部屋に恋人の存在がないことは明らかだった。
俺は畳の上に直に腰を下ろした。
折り畳みテーブルの上に、コトリ…と缶コーヒーが置かれる。
「あ、ありがとう」
缶コーヒーを手にした俺を見て、大野君がノートにペンを走らせた。
『シャワー浴びて来ても良い?』
「え、ああ…、勿論だよ…」
『帰らないでね?』
一瞬見せる不安そうな顔…
俺は缶コーヒーをテーブルに戻し、その手で大野君の髪を撫でた。
「安心して? 君が戻るまではここにいるよ」と…
『adagio』ー完ー