第8章 月夜のティラミス
たしかに萩原は杏奈のことを気に入っている。それはモリエールに通っていることを見ても、明らかだ。
しかし、それは彼女の人柄や人間性をという意味で、杏奈に対して恋愛感情を抱いているわけではない。
それは付き合いの長い松田はもちろん、杏奈も気付いていることだろう。彼女はぼけっとして見えて、あれで松田や萩原も舌を巻くほどの鋭い洞察力を持ち、意外と目敏く人の感情に聡い。
デートと称してはいるが、要は歳の離れた少し変わった間柄の、不思議な友人と遊びに行っただけ。
にもかかわらず、デートと言っても差し支えないくらいに、しっかりとプランを立てて杏奈をエスコートした萩原に、松田は感心すると同時に、相変わらずの友人に呆れてしまったのだ。
「そうそう!杏奈ちゃんに松田のことどう思ってるか聞いたんだよ。」
嬉しそうにニコニコとしていた萩原は、思い出したようにそう言って。気になる?とニヤニヤと、いやらしい類に笑みを変える。明らかに面白がっている。
萩原の笑みが癪に触った松田は、とりあえず彼の脛を蹴った。
硬い革靴の爪先に向こう脛を蹴られ、蹴られた箇所を両手で抑え、悶える萩原に満足気に口元を釣り上げて、松田は口を開く。
「別に。どうせしょーもねぇことでも言ったんだろ。」
松田の脳内に浮かぶのは、モリエールでの杏奈との下らないやり取り。
思っていることがポロリと口からこぼれ落ちてしまう、彼女の悪いクセは相変わらずで、余計な発言をしては松田にアイアンクローを喰らっている。
良くも悪くも杏奈は嘘がつけない。
年上の松田に対しても、頭にきたらムカつく、不快感を覚えたら気持ち悪いとはっきりと言葉にする。煽るようなことも平気で言う。
杏奈から自分の存在を拒絶するような言葉はもちろん、そういった雰囲気を感じたことはないため、嫌われてはいないだろうが、彼女を煽るような言動を意図的にしているため、グチくらいは言われているだろうと、松田は自己分析した。
痛みが引いてきて元の体勢に戻って、萩原は口を開く。
「"好きですよ"だってさ。」
ニッコリと綺麗な笑みを浮かべる萩原。
彼の口から今しがた出てきた言葉に、松田は僅かにサングラスの奥にある瞳を見開いた。