第8章 月夜のティラミス
もちろん恋愛的な意味で好かれているわけではないことは、分かっている。
杏奈の松田に対する言動には、そういった雰囲気は一切ない。何より杏奈は年頃の女子だというのに、そういった色事に関しては、あまり興味がない。
それでも、憎まれ口くらいは叩かれているだろうと、少なからずそう思っていた松田は、予想外に好意的な言葉に、多少なりとも驚いた。
驚愕に瞳を僅かに大きくした松田に、萩原はことさら楽しそうに瞳を弓なりに眇める。
「嬉しい?杏奈ちゃんに好きって思われてて。」
テーブルに頬杖をついて、ニヤニヤと松田の顔を覗き込む萩原。
揶揄いの色を瞳に浮かべて自分のことを見る萩原に、松田はうんざりしたように溜息混じりに言う。
「バカ言え。余計なこと言ってたら、また顔面鷲掴みにしてやろうと思っただけだ。」
その必要はないみたいだけどなと、ニタリと口端を持ち上げる松田。素直じゃないなぁと、萩原は思う。
萩原もまた、松田が杏奈のことを人として気に入っていることを理解している。
いつも憎まれ口を叩いたり、それこそ女の子である杏奈の顔面を、躊躇せず鷲掴みにしたりはしているが、彼女のことを松田はこれでも何だかんだ可愛がっていた。
少なくとも、わざわざ駅と反対側に家のある杏奈を、夜道は危ないからと送り届けるくらいには、世話を焼いてもいる。
そんな杏奈が自分のことを好いていると聞いて、少しも嬉しいと感じていない筈がない。
現に、口の端を釣り上げてシニカルな笑みを浮かべる松田だが、その瞳は柔らかく、どことなく機嫌が良さそうだ。捻くれた友人に萩原は呆れてしまう。
「それで、松田は杏奈ちゃんのことどう思ってるの?」
気を取り直してそう萩原は尋ねる。
杏奈に聞いたときのように、彼女がいない場でないと、聞けないことだ。ただし、松田の場合は、杏奈がいても居なくても、素直に思っていることを口にするとは思えないが。
「下らねぇこと聞いてんじゃねぇよ。」
案の定、松田は不機嫌に返すと、食器の乗ったプレートを手に立ち上がった。
返却棚へと向かう松田に、萩原が逃げるのか?と声をかけると、タバコと一言、不機嫌そうに口にして。呆れたようにそうかいと呟いて、萩原も背中を向けた松田の後を追った。