第7章 あまーいバニラの香りを添えて
「横浜は多くの文豪に所縁のある場所だから。」
最初にその可能性に気付いたのは、海岸通りを歩いたとき。
ふたりが朝訪れた海岸通りは、推理小説なども執筆し、太宰治、織田作之助らとともに無頼派と呼ばれ地歩を築いた坂口安吾の"吹雪物語"という小説において、登場人物の一人が別れる直前の恋人と歩いた場所として描かれている地だ。
歩いているときは、杏奈自身、憧れの作家の作品に描かれていた場所を歩いていることに、ただただ感動していただけだったのだが。
そうだと確信に変わったのは、ディナーで聘珍楼を訪れたときだ。
萩原は"どうしてもこのお店の料理を、食べさせてあげた"と言った。他にも老舗とよばれる有名な中華料理店はたくさんあるのに、あえて聘珍楼を選んだ。
それは聘珍楼が、横浜在住時の谷崎潤一郎や中島敦が通った老舗中華料理店だから。
特に谷崎潤一郎は、江戸川乱歩にも影響を与えたとされる文豪だ。
その他にも、朝食後に散歩した公園や、側を通っただけの開港記念館はわ多くの文豪たちが訪れた場所で。
港町と栄えた横浜は、船で留学や旅に出かけた作家たちの出発地や到着地であり、詩的な想像力を与えた場所であるなど、多くの文豪たちが訪れたとされている。
「つまり今回のデートは、聖地巡礼コースだったってことですよね?」
杏奈は自分の中で導きだした答えを、萩原に確認する。
すると萩原は、ずっと考えてたの?と笑った。
デートに集中していなかったわけではないが、気になってしまい、ずっと考えていたのだろう。それもまた杏奈らしくて、思わず笑ってしまったのだ。
推理小説好きの性ってやつかねぇ。
萩原は警察学校時代の友人の顔を思い浮かべて、そう思う。
彼もまた思い浮かんだ疑問は、どんなに小さなことでも解決しなければ、気が済まない質だった。彼女もそうなのだろう。
じっと自分を見つめる視線を感じて、萩原は答え合わせをしようと口を開いた。
「杏奈ちゃんの言う通り。横浜は推理作家にも所縁のある地だし、推理小説好きの杏奈ちゃんとのデートには、ぴったりだと思ったんだ。」
推理小説好きで、有名な文豪の作品はすべて読破している杏奈ならば、所縁の地だと知っているだろうと、萩原は考えた。事実、それは正解だった。