第7章 あまーいバニラの香りを添えて
杏奈はレジに並んで待つあいだ、それらを眺めていたのだが、ふいに彼女の視線がひとつの缶で止まった。
それは以前から杏奈が密かに気になっていた茶葉で、彼女は視線を奪われたように、じっとそれに見入る。
「杏奈ちゃん?何か気になるものでもあった?」
隣にならぶ萩原に声をかけられ、杏奈はようやく缶から視線をはずす。
首をかしげる萩原に、しかし杏奈は、なにも言わずにふるふると首を横に振った。
「モリエールでも取り扱っている茶葉があったので、ついつい気になって見ちゃいました。」
気になる茶葉を見つけた杏奈だが、あえて萩原にそれを伝えずにはぐらかす。
レディーファーストを心得ている萩原のことだ。言えばきっとプレゼントしてくれるだろうが、これ以上なにかにお金を払ってもらうのは、申し訳ないと思ったのだ。
また来たときに買えばいいし。
そう心の中で自己完結して、これも一種の職業病ってやつですかねーと、へらりと笑う杏奈に、そう言われればそうかもしれないねと、萩原も笑い返した。気付いた様子のない彼に、杏奈は密かにホッと胸をなでおろした。
案の定、会計は萩原がお金を払ってくれて、二人は揃って店を出た。
それからまた移動し、屋内型パークを満喫して、気付けば時刻はすでに夕方になっていて。
帰りの時間のことも考えて、少し早いけど夕飯にしようと言う萩原の車にゆられることしばらく。
たどり着いたのは、朝に立ち寄った海岸沿いのそれとはまた違う、異国情緒あふれる場所。
この場所のシンボルである関帝廟をはじめ、目の前に広がるのはチャイナタウンを思わせる建造物。
ふたりが訪れたのは、横浜の観光名所のひとつーー横浜中華街だ。
約0.2平方キロのエリア内に500以上の店舗がひしめき合う、約150年強の歴史をもつ、日本最大かつ東アジア最大の中華街は、神戸南京町や長崎新地中華街とともに日本では"三大中華街"とされる場所だ。
「それじゃあ、いろいろ見ながらいこうか。」
休日の横浜中華街は夕方とはいえ、外国人はもちろん、多くの観光客で溢れている。活気に包まれた中華街を、杏奈は萩原に腕をひかれて歩き出した。