第7章 あまーいバニラの香りを添えて
完全に惚気じゃないか。
杏奈自身は気付いていないが、松田の話をする彼女は、とても温かく穏やかな表情をしていた。
松田のことを考えながら、優しく微笑み話すその姿は、どこからどう見てもただの惚気だ。
そこに恋愛感情があるかどうかは、今のところ微妙なようだが。
「下手に突っつくもんじゃあないねぇ。」
恋路を邪魔したわけではないが、なんとなく馬にでも蹴られた気分だ。
テーブルに頬杖をついて、しみじみとそう口にする萩原に、杏奈は聞いてきたのはそっちじゃないですかと呆れる。
「ちなみになんですけどー……萩原さんと松田さんの第一印象って、どんな感じだったんですかー?」
萩原と松田の警察学校時代のエピソードは、いくつか聞いたことがあるが、第一印象に関しては聞いたことがない。
どうせならばこの機会にと、杏奈が問いかけると、萩原は第一印象ねぇ…と苦い顔をした。
「ぶっちゃけ言うと、俺はあのころ松田のことーー大っ嫌いだったんだよねぇ。」
ニッコリと綺麗な笑みをうかべる萩原だが、その表情と彼が口にした言葉はあまりにもチグハグで。杏奈は驚きに瞳を瞬かせる。
同じ分野で活躍したいと思っていた二人は、揃いも揃って高い能力を備えていたこともあり、何かにつけて張り合っていたことは、杏奈も二人から聞いて知っていた。
しかし、よもや"大っ嫌い"なんて強い拒絶の言葉が出るとは。
思っても見なかったことに目を丸くする杏奈に、萩原は苦笑して話し始める。
「アイツ、初対面のときに俺になんて言ったと思う?ーー"オンナ男"って言ったんだよ?」
何も萩原だって最初から、理由もなく松田のことを嫌っていたわけではない。
むしろ入学した先で能力も、希望する配属先も同じ、自分とよく似た松田のことは、いやが応にも気になる存在で。親しくなりたいと思っていた。
しかし、そう思って話しかけた萩原に松田が放ったのは、言うに事欠いて"オンナ男"である。
たしかに萩原は、男性にして綺麗な面立ちをしている。
今となってはそれも自分の長所であり、武器だと理解している萩原だが、多感な年頃にはそれがコンプレックスだった。
デリケートな部分をいきなり突かれて、萩原だって黙っていない。当然、萩原も言い返して、二人は入学初日に大喧嘩をしたのである。