第6章 夢見心地のマドレーヌ
その間に男が自分を見ている彼女の姿に気付いてしまい、杏奈は見事に怪しい男とサングラス越しに視線が合ってしまった。思わず身構え、一歩足をひいた杏奈に、男が口をひらく。
「おう。おつかれサン。」
モリエールの前にある塀に背を預け、タバコを吸っていた松田は、杏奈の姿に気づくと、店を出るときと同様に、ひらりと片手をあげた。
帰ったはずの松田の姿に固まっていた杏奈は、おつかれさまです…?と疑問形ながらも、無意識に彼の真似をして、へなりと片手をあげる。
いまいち事態を把握できていない彼女の様子に、ニヤリと悪戯が成功したような、愉快そうな笑みを浮かべて、松田はタバコをもみ消すとそれを携帯灰皿にいれた。
「お前ん家、どっち。」
「へ?」
ニヤニヤしたまま尋ねてきた松田の言葉に、杏奈はきょとんとして素っ頓狂な声をもらす。
しかし、どっちと再度同じことを、先程よりも強い語気で言われて、あっちですと駅のある方向とは逆の方角へと伸びる道を指差した。
杏奈の指の先を確認した松田は、んじゃあ行くかと、彼女の指し示した道へと進みはじめる。その後ろ姿をただぼんやりと眺めたまま、動く気配のない杏奈に、松田は振り返った。
「何ぼさっと突っ立ってんだ。行くぞ。」
くいっと顎をしゃくる松田の有無を言わさぬ雰囲気に、杏奈は言われた通りに彼のとなりに並ぶ。
杏奈が素直に自分のとなりに並んだことを確認して、松田は歩き始めた。
夏の夜空の下を、松田と杏奈は肩を並べて歩く。
住宅街には帰宅する人と時々すれ違うくらいで、ほとんど人通りはない。また駅のある表の大通りからは少し離れているため、アスファルトを蹴るふたりの足音が住宅の塀に反射して、大きく響く。
「あの、もしやとは思うんですけど……待ってたんですかぁ?」
今の状況が理解できず、無言で言われた通り松田のとなりを歩いていた杏奈は、ようやく働きはじめた頭をあげて、となりを歩く男をみる。
真っ直ぐ前だけを見据えていた松田は、チラリと横目で自分を見上げる杏奈を確認した。