第4章 アッサム、ときどき、カモミール
杏奈は片手にバッグを掛け、反対の手にはオレンジジュースの注がれたグラスを持って松田を見下ろす。
ここには居ないものと思っていた杏奈の登場に、彼女を見上げたまま反応を返せない松田を見た杏奈は、あれぇ?とこてんと首を傾げる。
「誰かと思えば、松田さんじゃあないですかー。」
先日はどーもーとぺこりと頭を下げる杏奈。
"どうも"と言うのは、来店してくれてありがとうと、不味いコーヒーを飲ませてしまいすみませんでしたと、二つの意味を込めたものだ。
へらりと緩く微笑む杏奈に、彼女の言葉の意味を正確に汲み取った松田は、こちらこそどーもと雨宿りさせてくれたことに対する感謝と、不味いコーヒーを提供してくれたことに対して、少しの嫌味を込めて返す。
片っ方の口の端を釣り上げた松田の意地の悪い笑みに、杏奈はあはーとへにゃりと眉を下げて笑った。
「仕事でもないのにわざわざ店に来たのか?」
松田が来店した際に店内を確認したが、そこに杏奈の姿はなかった。
何より今の杏奈の格好は、紺色のふわりとした五分袖のカットソーに薄い色のハイウェストジーンズ、白のスニーカーという私服姿。耳には小ぶりな花のピアスが揺れている。仕事中ならば制服のはずだ。
どれだけこの店が好きなんだよと呆れるような視線を向けてくる松田に、えー?仕事してましたよぉと杏奈はそれを否定した。
「今日は朝からだったので、今さっき仕事が終わったところです。」
今日の杏奈のシフトは、朝から昼過ぎまでだったのだ。
松田が来店したときは、丁度シフトの上がり時間になり、ロッカールームで支度をしていたというわけである。
杏奈の言葉に、だから姿が見えなかったのかと松田は納得した。
よくよく考えてみれば、ドアベルの音も聞こえなかった。外から来店したのならば、ドアベルの音が聞こえないのは可笑しい。従業員室のドアから店内に入ったのならば、その理由にも納得だ。
「で、何の用だ。」
疑問が解消されたところで、松田は杏奈に問いかける。
松田の言葉に、あぁ…と杏奈は彼に声をかけた目的を思い出した。