第13章 ふわりとほどけるババロア
「松田さーん。松田さーん。」
自分が話していた見知らぬ男が、大好きな闇の男爵の産みの親だとも知らず、公園を半ば連れ去らわれるように後にした杏奈は、いまだに自分の腕をつかみ歩く松田に声をかける。
しかし松田はその呼び掛けには答えず、ズンズン進んでいく。聞こえていないのか、聞く気がないのか。
背中からも怒りが滲んでいる松田に、杏奈は悩んだ挙句、足を止めた。
杏奈が急停止したことで、彼女を引っ張っていた松田も必然的に立ち止まることになる。
振り返った松田の眉間には深いシワが刻まれていて。
サングラスで遮られていても、向けられる視線の鋭さが伝わってくるようだった。
じっと見降ろしてくる視線に溜息をひとつ吐いて、杏奈は松田を見上げたまま言葉を紡ぐ。
「手、痛いんですけどー?」
自分の腕に視線を落とした杏奈の視線をたどり、彼女の手を掴んだままの自分の手に行きついた松田は、悪いとひとこと誤って杏奈の腕を解放する。
しかしぶっきらぼうにそう一言いったきり、松田は黙ってしまって。
相変わらず機嫌の悪そうな松田に、しかし無言でいるわけにもいかず、杏奈から口を開く。
「今日べつに約束とかしてなかったですよねー?」
松田はさも約束をしていて、彼のことを杏奈が待っていたかのように彼女をあの場から連れ去ったが、特に約束はしていなかった。
こてんと首をかしげる杏奈に、松田の眉がピクリと反応する。
「お前さっきの男、知り合いか?」
厳しい声音で問いかける松田。
さっきの男というのは、ベンチに隣り合って話していた彼ーー優作のことである。
しかし杏奈は優作が大好きなミステリー小説の産みの親であることは知らない。当然、顔見知りでもない。
いいえ?と首をこてんとかしげる杏奈に、松田は呆れと怒りを吐出するように大きく息を吐いた。
「よく知りもしない男と、あんな人気もない暗い公園で話すとか……お前なに考えてんだ。」
相手が危害を加えないとも限らない。ただでさえこの町は、大なり小なり犯罪が少なくはないのだ。あまりにも危機感が欠如している。