第13章 ふわりとほどけるババロア
クスクスと隣から聞こえてきた声に、杏奈はようやく自分の隣に腰掛ける人物に気づいた。
杏奈の隣に腰掛けていた人物は、メガネと鼻下の整えられた髭が特徴的な、スーツ姿の紳士然とした男だ。
クスクスと笑う見知らぬ男を杏奈がぽけっと見ていると、視線に気づいた男が、失礼と謝る。
「随分と集中していた様子だったので、つい。その小説、お好きなんですか?」
男は明らかに杏奈より年上だが、敬語で丁寧にそう尋ねる。物腰の柔らかい様子が、余計に男の紳士然とした印象を強めた。
「はい。とっても面白いですよー!特にこのシリーズ!」
男の質問に杏奈は、相手が見ず知らずの男ということも忘れて、グンっと身を乗り出す。
杏奈が読んでいたのは、数年前から売り出されている作家が手掛けるシリーズ物のミステリー小説ーー闇の男爵(ナイトバロン)の最新刊だ。
白い笑いの仮面をかぶっているボブヘアーの怪盗でありながら、時には冷酷な殺人鬼にもなる正体不明の人物が主人公である。このシリーズが著者の出世作でもある。
「先の読めない展開とトリックも面白いですし、伏線も緻密でー。あと、ヒロインがすっごく魅力的で!」
好きなんですよねーと小説を腕にかかえ、へらりと微笑む杏奈。本当にその小説が好きであることが男にも伝わってきた。
「実は私もそのシリーズが好きでね。特にヒロインが好きなんですよ。」
可愛らしくてと瞳をすがめる男性。
その瞳は柔らかく、慈愛に満ちていて。
「好きな方に似てらっしゃるんですねー。」
男があまりにも愛おしそうに話すものだから、そのヒロインが愛する誰かに似ているのかもしれないと、杏奈は思ったのだ。
「ほぅ……、何故そのように思ったのかな?」
杏奈の言葉に、男は興味深そうにそう尋ねる。
街灯の光が反射してキラリと男のメガネが光る。
最近こんなん聞かれてばっかだなぁと内心で考えながら、杏奈は、男の話す声や表情からそう感じたのだと説明した。