第10章 チャイの香りと共に飲み込んで
「できればそうして欲しいですけど…、別にどうしてもってわけではないですねぇ。」
今まで当たり前にされていたやり取りがなくなると、なんというか、肩透かしを食らった気分になって、調子が狂ってしまうことは確かで。可能ならば、松田には今まで通りに接してほしい。
けれどそれは、杏奈のワガママだ。
理由は定かでないにしろ、松田にも何かしらの考えがあっての行動だということを、彼女は理解している。
それなのに、それを無視して自分の希望を押し付けることは、杏奈のワガママだ。松田を困らせることは、杏奈とて本意ではない。
私が慣れちゃえば、それが一番な気もするんだよねぇ。
人間とは良くも悪くも慣れる生き物だ。今は松田の行動の変化に戸惑っているが、それも時間が経てばそのうち慣れるだろう。
慣れてしまえばどうってことない。
松田を困らせることもなく、杏奈自身もこれまでと変わらず、調子を狂わされることなく彼と接することができる。幸い、頭を撫でなくなったこと以外に、松田の態度や接しかたに変化はないのだから。
うん。それがいい。
そう納得したことで、ほんのすこし心のモヤがすっきりとした気がする。杏奈は手に持っていたチャイに、口をつけた。
実際のところ、杏奈ちゃんは松田のことどう思ってるんだろねぇ。
萩原はどこかスッキリとした様子で、カップに口をつける目の前の少女をみて考える。
果たして、恋愛感情が芽生え始めているのか、と。
大抵の女性は、そのことを気にする時点で、相手に好意を抱いている場合が多い。
しかし相手は杏奈だ。
飄々としてつかみどころがなく、いつだってこちらの予測の斜めうえをいく返答をする。
そんな彼女の心のうちを、正確に読み取ることは、それなりに付き合いが長くなりつつある萩原にも難しい。
「とりあえず、俺からもそれとなく理由を聞いてみるよ。松田に彼女ができたなんて話も、聞いてないし。」
いくら考えたところで直ぐに答えの出ない疑問には、一度ふたをして、萩原ものんびりとアイスコーヒーに口をつける。
萩原の言葉に、よろしくお願いしまぁすと、杏奈もぺこりと頭を下げた。