第2章 サルミアッキに魅せられて
「そうです。日本の文豪だと川端康成の"眠れる美女"が有名ですよねー。」
川端康成の代表作ーー"眠れる美女"
全五章から成る「魔界」のテーマに連なる川端康成の後期を代表する前衛的な趣の作品で、デカダンス文学の名作と称されている。
老いを自覚した男が、逸楽の館で出会う"眠れる美女"の瑞々しい肉体を仔細に観察しながら、過去の恋人や自分の娘、死んだ母の断想や様々な妄念、夢想を去来させるエロティシズムとデカダンスが描かれている有名な作品だ。
杏奈が構想しているものとは趣は違うが、彼女自身も好きな作品のひとつであり、影響を受けていることは事実だ。
うんうんと同意を示す山さんと、杏奈は眠れる美女について互いに談議を交わす。それを興味深そうに聞く、花さん。
麗らかな昼下がりの喫茶店には、決して似つかわしくないワードがポンポンと飛び交う。
「私自身もアンさんの書くものには興味があります。ですが、その悪い癖は直さないと苦労しますよ。」
苦言を呈する森の言葉に、うっと杏奈は小さく呻く。
それが図星だったからだ。
杏奈の悪い癖。
それは構想中の作品のことを考えると、無意識に思い浮かんだ文章がぽろりと口から零れ落ちてしまうこと。
彼女が好むのは推理ものやミステリー小説。当然、残忍な描写なども入ってくるわけで。
お陰で杏奈は周囲から奇異な瞳で見られたり、遠巻きにされることが少なくない。
「今回は常連さんだけですから、まぁ構いませんが。初めて来店してくださったお客様は、先ほどの話を聞いてどう思うでしょう?」
朗らかに笑う森だが、その言葉には棘がある。今回の題材なんて、飲食店では絶対にアウトだ。
それが理解できた杏奈は、すみません…善処しますと、しゅんと肩を落とした。その様子に森は微笑む。