第2章 わたしの世界
眩しくてよく見えないけれど、ふに、と頬を触られたから、その指を握ってみた。
指は『わたし』より冷たくて、でも気持ちがいい。心地よい冷たさを逃がさないように精いっぱい握りしめて、指の持ち主を探せば、『わたし』を覗き込む少年の瞳と目が合った。
周りはぼやけていて、輪郭も色もはっきりとはしないのに、不思議とその目ははっきりと見えた。
目は、驚いたように見開かれてから、すぅと笑みを描く。
それは、余りにも自然で"本物"のように見えた。
優しくて、"完璧"を煮詰めたような笑顔。
『私』は悪寒が背筋を這い上がるのを感じた。
名前を付けてくれた少年が、『わたし』の『兄さま』だと気が付くのはそれから然程経たない頃だ。
『わたし』は随分と優秀だった。
一回見たり聞いたりしたことは全て頭の中に入ってしまうし、乳母たちが話す内容も理解できる。
言葉だってわかる。
加えて、『わたし』には"梨雪"ではない『私』の記憶もあった。
ここ、とは世界も衣装も文明も言葉すらも全然違うけれど、確かに『私』が生きていた記憶。
平凡な一般家庭に産まれ、中学1年で父母と兄という家族を亡くしたが、たらい回しにされた結果引き取られた親戚の家で友だちに出会い、偏差値に右往左往しつつも、そこそこな成績で進学し、医者の卵として警察病院で働いていた「私」の記憶。
享年31歳。死因は単なる交通事故。
容姿は違うけれども、『わたし』は"梨雪"だけではないのだ。
31歳。短い人生だったけれど、31年分の記憶と経験、知識を持ち合わせてしまった『わたし』は普通の新生児としては異常だ。
けれども、只の新生児の『わたし』は誰かに頼らないと生きていくことすら出来なくて、見捨てられるのはとても恐ろしい。
……だから、
「私」は"梨雪"であろうと努力した。
無力で無害な子どもであれ。
そう決心して半年ほど過ごした。
それももう、必要ない。