第9章 ✼赤熊百合✼
§ 謙信Side §
信玄の恋仲を傷付けてしまってから、あの女は俺の部屋に来なくなった。
それは動けるようになってからも、城のどこを探しても見つからない。
信玄もいつも通りに接してくる。
だがその裏には「もう二度とこの話題に触れるな」と言われているような気がして、女の居場所を聞く事など出来なかった。
(そういえば……俺はあの女の名前を知らないな)
信玄が一度俺の前で名を呼んでいたような気がするが、思い出せない。
いつしかそれが頭の中を支配していき、何もするにも上の空になってしまった。
「謙信様〜!!お待たせしました」
城下より更に奥にある草原で立っていた俺を一人の女が呼ぶ。
「芝姫。大事な話とはなんだ」
「あら。随分せっかちですのね」
そう言ってくすくすと笑う芝姫。
同じ城で住んでいるわけでもない芝姫と話す話題など特にない。
「まあ良いですわ。謙信様、私が貴方の許嫁だという話は前にしましたよね?」
「ああ」
「父上ももう痺れを切らしておりますし、謙信様のお体も良くなったと聞いています」
それで……と頬を染めながら俯く芝姫。
「そろそろ私と祝言をあげてくださいませんか……?」
「それは、正室にしろと言っているか?」
「っ……えぇ。そう申しております」
顔を真っ赤にして返事を待つ芝姫を横目に、少し考えた。
俺は天下統一などという目標を持っている訳ではないが、誰かと一緒になっておいた方が上杉の存続の為にも楽だろう。
……それに、許嫁と言うならば後々こうなることは自分もわかっていたはずだ。もう、何もかも、考えることに疲れてしまった。
「……分かった。お前を正室にしよう」
「本当……?!これで父上も安心します」
何か引っかかるような感覚があったのは気の所為だ。
愛が無くても構わないと言っていた芝姫は、どこか嬉しそうだった。