第11章 嫉妬
翌日の教室。
「……では今日は、僕の好きな若山牧水の歌を」
国語教師の浅野先生は、授業の途中で5分ほど雑談するのが常だ。
話題に上るものは、先生の好きな和歌や俳句だったり 流行の小説だったり…、その対象は様々だ。
先生は黒板にカツカツと、美しい文字で歌を書いていく。
“ああ接吻 海そのままに 日は行かず 鳥翔ひながら 死せ果てよいま”
書き終わると、軽く咳払いしてから読み上げた。
「ああくちづけ うみそのままに ひはいかず とりまいながら うせはてよいま」
雑談に入ってから 少し気を緩めてぼんやりしていたマヤは、浅野先生の読み上げる「くちづけ」の声にビクッとして顔を上げた。
「これは若山牧水の処女作 “海の声” に収録されてるんだ。牧水といえば “白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ” が有名というか…、それしか知らない人も多いと思うが、他にも情緒あふれる優れた歌がたくさんあるから是非知ってほしい」
「みんなは 恋をしているかな?」
「この歌の意味は、愛しい人とキスをしたこの瞬間を、永遠に留めたい…」
……愛しい人とのキス…。
昨日の出来事が脳裏に浮かび、マヤの心臓はドクドクと打ち始めた。
……キスじゃ… なかったけど…、リヴァイさんの顔が迫ってきて…。
思い返すだけで恥ずかしい。
からかわれただけなのに、こんなにドキドキして馬鹿みたい。
でも… でも… 私…、リヴァイさんが好き…。
あんなことがあったから、つい考えてしまう。もし… この先いつか リヴァイさんとキスする日が来るとしたら…。
たとえ彼のキスが戯れのものであったとしても、私はきっと若山牧水のように、その一瞬を永遠に心に刻むだろう。
……そして その思い出だけで生きていける。
リヴァイへの想いを募らせているマヤの耳に、先生の声が入ってきた。
「……恋をすると、同じ文学作品でも歌でも それ迄とは違った景色が見える。そのときになって初めて、この世に生を享けた意味を知る。……だから みんなには良い恋をしてほしい」
「え~ では、授業に戻ります…」
……先生、素敵なお話を ありがとうございます。
マヤは教壇に立つ浅野恭司先生に、心の中で頭を下げた。