第3章 あの夏の日の男の子
『ねぇお父さん、なんでうちにはお母さんがいないの?』
初めてそうお父さんに聞いたのは私が五歳の時だった。
その頃母の日が近くて幼稚園に通ってる周りの子たちは母の日お母さんに何あげるかで盛り上がっていて私はその話についていけなかったからだ。
お母さんがいない明確な理由が知りたくてそう聞いたらお父さんは突然怒り狂ってお前のせいだ!と怒鳴りながら私を何度も殴った。
その数時間後、別人のように泣きじゃくりながら私を抱きしめてごめんなと謝ったあと「お母さんはお前が、4歳の時に事故で死んだ」と答えた。
あの頃は何も疑問に思わなかったけど今思うと、事故で死んだのに私のせいってどういう事だろうと首を傾げたくなる。
それでも私の肉親は父親だけ、この人に何をされてもこの人についていかなければ自分が生きていけない事は分かっていた。
私が6歳になってから父親は自分の彼女を家に連れてくるようになった。
父親の彼女と名乗る女は3ヶ月くらいでコロコロ変わっていったがみんな共通して言える事は、気持ち悪い上っ面の笑顔を貼り付けた顔でお菓子を私に買い与えて手懐けようとしてくる事。
夜、私が寝る時間になると彼女と名乗る女達はお父さんに「友夏を早く捨てて私と暮らそう」と相談を持ちかけている。
私が寝たふりをしながらマンションの薄い壁の向こうでその声を聞いているとは知らずに…。
私は大人が嫌いだ。
理不尽な暴力も、気持ち悪い上っ面だけの笑顔も嫌いだ。
でも、逆らうことなんてできなかった。
お父さんに逆らうと私は本当の意味で1人になってしまうから。
お父さんに捨てられないために私はお父さんの言いつけを守って生きてきた。
厚手の長袖パーカーとダボっとしたジーパンとブーツで殴られた傷やあざを隠すよう言われ、もしパーカー脱ぐよう言われたら個性の関係で脱げないと言うようにという言いつけも守ってきた。
個性婚の失敗作で出来損ないの私がお父さんに捨てられないようにするには言いつけを守る他なかったからだ。