第8章 熱に浮かされ
さえりが熱を出してから数日後。
安土城の廊下で、パタパタと近づいてくる軽快な足音に、家康は振り返った。
「家康!」
思った通りさえりだ。
「あんた、もう風邪は良くなったの」
「うん! こないだはありがとう。家康が薬を作ってくれたって聞いたよ」
にこにこと微笑みながらさえりは家康にお礼を言った。元気そうなさえりを見てホッとしながらも家康は悪態をつく。
「体調管理ぐらいちゃんとしなよ」
「そうだよね。針子の仕事に夢中になって無理しちゃったみたい。次から気をつけるね」
えへへ、とさえりが笑った。
「薬、ちゃんと飲めたんだね。結構量あったとおもうけど」
「それがね、自分では全然覚えてないんだけど」
光秀いわく、急にムクッと起きあがり薬を飲み干した挙げ句、身体も自分で拭いたらしいとさえりは説明する。
「ビックリだよね。光秀さんも驚いてたよ、無駄に器用だって」
「へえ……」
無駄って酷いよね、と笑顔で話すさえりに、家康は半ば呆れながら聞いていた。光秀の事だ、何処までが本当なのか。
「あんたさ……」
何で、あの時刻に光秀さんの御殿にいたの?
その首筋の赤い痕は、誰に付けられたの?
あの日の疑問が甦る。
「光秀さんと恋仲なの?」
「ち、違うよ」
さえりは即座に首を横に振った。嘘をついているようには見えなかった。
「じゃあ、好きなの?」
「えっ」
今度は明らかに動揺が見てとれる。さえりは少し困ったような表情を浮かべていた。家康はずいっと顔を近づけた。
「俺にすれば」
思わず、口からこぼれ落ちた。瞳には熱が浮かぶ。
「家康……? 何言って……」
「俺にしなよ」
俺ならさえりをそんな風に困らせたりしない。
だけど。
さえりは目を伏せ何も言わない。まるで、答えない事が答えだと言うように。家康にはそう感じられた。
「なんて、冗談だから」
家康はさえりから離れ、誤魔化すように顔をそむけた。
「そ、そっか」
「じゃあ、俺は用があるから」
逃げるように、家康はその場を後にした。