第9章 蛍石の道標
急いで裏口から執務室まで走っていく。
異能力まで使ったせいで本当に一瞬でたどり着いた…は、いい。
違う、そうじゃない、なんなんだあいつ。
不覚にも、可愛いだとか、そんなこと…
いや待て、仕事持ってくるようにしてくれるとか聞いてねぇぞ、どうしろってんださっきの今で!?
調子狂っただけじゃねえか!!
ああだこうだと考える内、思い付いたのは狸寝入り。
これしかねぇ、今まともにあいつの顔見たらどんな顔するか分かったもんじゃない。
どうせいつもピッキングするなりして入ってくるし大丈夫だろ。
なんて、軽い気持ちでそれを実行に移したのが、運の尽き。
扉の向こうに気配を感じて、しかし一向に入ってくる様子の無いそいつは、本当に時間をおいてからようやくピッキングして執務室を開けて入ってくる。
すると、そこで予想外にも反応を示さない俺を見つけたのだろう。
そのままこちらに歩み寄って…?
いや、やけに小走りで来てる、どうした、何だ、まさかこのままたたき起こしてくるつもりか手前。
などと考えていた、罰が当たったのだろうか。
そっと横から…細い細いそいつの腕が、回されたのだ。
やけに震えきってる…やけに、冷たい腕が。
『ッ、…』
ぎゅうぅ、と子供みたいに抱きついて、そっと離れれば肩から何かをかけられて。
え、と聞きそうにさえなる。
何してんだ、こいつ。
お湯を沸かして、その間に食器の音と、何かの袋の音。
沸かしたお湯を使って何かをする音で…そこから漂ってきた香りで、気付いた。
完成したのであろうそれの入ったカップを俺のすぐ側に置いて。
…珈琲、いれたのか?
こいつが??
それから少し、俺の様子を見て待っているのだが、何を思ったのか今度は俺の首元に触れて…いや待て、何してやがるこいつ、遂に本性を表して…
思い返したのは、俺にすがりついて泣き散らしていた、つい数日前のこと。
違う、こいつは俺の事、決して嫌ってなんかいない。
なんて、何かに気がついたところで、チョーカーをズラされ、そこに触れる感触が、俺の決して鈍感ではない項を吸っているのが、分かった。
心臓が止まるかと思う程に驚かされて…破裂しそうな程に混乱させられて。
ちゅ、と離れたそこに何が起きたか、理解するには何もかもが足りていない。
チョーカーを元に戻してからもう一度抱きついて、彼女は部屋を後にした。