第3章 緑玉髄の魂
「鏡原、この書類を頼む」
「わかりました」
櫻木の屋敷での衝撃的な一件から、早くも一週間が経った。
映は持ち前の要領のよさと飲みこみの早さで、すでに探偵社の事務員顔負けの仕事量を誇る、──〝調査員〟になっていた。
──こんなはずじゃ、なかったんだけどなぁ。
あの事件以来、映が異能を暴走させることはなかった。なんでも、社長の福沢は〝そういう〟異能を持っているらしい。
なにはともあれ、本人の希望とは関係なく調査員になってしまった映は、事件らしい事件もないまま、書類業務を淡々とこなす日々を送っていた。
──櫻木婦人は、どうなったのだろう。
映の異能で〝鏡狂い〟になってしまった人間は、鏡の中から出てきても狂ったままだ。
あの様子じゃあ、事情聴取にもまともに答えられないだろう。心神喪失で裁判でも判決は見送られるかもしれない。
──あらためて考えると、大変なことをしてしまった……!
福沢が掛け合ってくれたのか、櫻木婦人をあんな状態にしてしまってもなお、映にはなんのおとがめもなかった。あれ以来、軍警からは音沙汰すらない。
家宅捜索の結果、寝室から婦人の日記が発見され、そこには事件当時の様子がこと細かに記述してあったという。
映は詳しく教えられていないけれど、櫻木婦人は死体遺棄については罪に問われないそうだ。
日記には、『殺したのはたしかに自分だけど、死体の行く末は知らない』『〝なんとかする〟と言ってハイリが持っていってしまった』などと書いてあったらしい。
軍警は鋭意使用人のハイリを追っているが、そもそもが偽名を使っていたようで、捜査は難航していると聞く。
──乱歩さんは、すべてわかっていたのかな。
あのとき、乱歩は〝だから殺したの?〟と訊きこそすれ、死体遺棄についてはなにも訊かなかった。確証はないけれど、もし。もし、そうだとしたら。
──敵に回したら怖いわね。
映は静かに身震いし、書類に目を落とした。