第1章 12月7日
美術デザイン教室へ戻ると、愛理の姿はもう無くて、田中先生が、帰る用意をしていた。
「じゃあ、帰るか」
黒のステンカラーのコートを羽織って、先生が近くに寄る。わたしも端に かけていた茶色のダッフルコートを着て、鞄を肩にかけて、ドアの前で待った。
そばに寄った時、先生は、わたしの顔を見た途端、笑みを浮かべる。下に鞄を置いて、手招きをした。
「市川、こっちへ来い」
グイっと腕を引っ張り、わたしを肩口に引き寄せる田中先生は、すこぶる上機嫌な様子。
「どうした? 急に泣くな」
後頭部の髪を撫でられ、張り詰めた緊張が切れてしまい、目が潤んだ。
先生を誘ったり、愛理みたいな事をしようと思ったけれど、そんなことをしたら嫌われるって、分かっていた。
先生にだけは、死んでも嫌われたくない。
だから、出来ない。無理。
でもあんな女の子になんか、触られたく無い。
「……愛理から告白されたんですよね?
わたし、嫌で…嫌で……」
やっと出した声は、
蚊が鳴いたみたいな
小さな声。
嫉妬する資格なんて無いのに、
付き合っても無いのに、
こんな事を言う権利なんて無いのに。
「あー……まあ、な。 アイツは色々有名だから、俺も知ってる。何もされてねーよ。 何だ、いつも自分は関係無い、みたいな態度を取るくせに、今日はやけに しおらしいし、素直だな」
「……だって、先生が、襲われたら、って思って……」
そう言った後、クク…っと肩を揺らして笑う先生は、わたしの顔を覗き込む。