第69章 井の中
「ひなた、動けるか」
「だ、大丈夫・・・!」
彼の言葉を合図に、休めていた体へ鞭打って立ち上がった。
「軽いストレッチから始めよう。そっちに立って」
言われた通りに指示されたところへ立つと、二人で体を伸ばすところから始めて。
何だか兄に教わっていた頃を思い出し、懐かしい思いでいっぱいになった。
「・・・?」
暫く続けていると、橋の向こう側から何かが近付く気配を感じて。
それを感じたのは、零も同じだったようだ。
ほぼ同じタイミングで気配がした方へ視線を向けると、少し汚れた白い小型犬が、こちらへ近付いて来るのが見えた。
「また君か」
そう言って彼はその小型犬に近寄っていって。
「知ってるの?」
「ああ、最近ここでよく会うんだ」
見たところ、捨て犬だろうか。
零に懐く姿を見ていると、何度か会っているという言葉に納得を生んだ。
「・・・おいで」
しゃがんでその小型犬を触る彼の傍に腰を下ろし、ゆっくり下から手を差し出して。
最初は怖がる様子を見せていたが、すぐに懐く姿を見ては安心と心配を感じた。
「あれ、この子・・・怪我してる」
よく見ると、足に傷を作っていて。
このまま放っておく事ができなくて、手当てしたい旨を零に目で訴えた。
「・・・ひなたまで、その子のような目をするなよ」
どういう目だろう、とその子犬と目を見合わせて。
その瞬間、零が立ち上がると同時に、子犬が持ち上げられた。
「手当てだけ、だからな」
それはその子犬にも、私にも向けられた言葉で。
お礼を言いながら頷くと、途中だったトレーニングをそのまま中止し、急いで零の家へと戻った。
帰宅するなり、彼は玄関先で手早く手当てを済ませて。
「僕はこの子を河川敷まで送ってくるよ。そのまま仕事に向かうが・・・ひなたはどうする?」
彼がそう聞くということは、ポアロでの仕事を・・・ということで。