第56章 それは
「わ、分かりました・・・」
『では、一旦失礼します』
そう言われ、電話は一方的に切られてしまった。
何か、嫌な予感がする。
ザワザワとした恐怖のような不安のような、入り交じった感情が押し寄せてくる。
零に、何かあったんだろうか。
自然と心拍数は上がり、冷や汗が流れ、手足が震えた。
それでも、今は風見さんの言うことに早く従わなければいけない。
適当に荷物をカバンに詰め込み、阿笠邸に向かおうと、ドアを開けた時だった。
「こんにちは」
「・・・!」
既にそこには人が立っていて。
今、私が最も会いたくない、その人が。
「・・・昴さんがどうしてここに」
「説明は後で。とりあえず一緒に来て頂きますよ」
言い終わるや否や、私の腕を掴むと半ば強引に引っ張られた。
その瞬間、あの時の記憶がフラッシュバックして。
「・・・・・・ッ」
昴さんに掴まれたというのもある。
だけどそれ以上に、恐怖が勝っていて。
「これは失礼しました」
自分でも少し驚いている。
まだあの時のトラウマが残っているなんて。
もうとっくに、私の中からは消えたものだと思っていたから。
「これでよろしいですか?」
そう言いながら昴さんは少し腰を屈め、上にした手の平を私に差し出した。
「・・・ふざけないでください」
彼を放って隣を通り過ぎようとした瞬間、いつだったかと同じく、それは壁についた昴さんの腕によって阻まれた。
「ふざけてなどいませんよ」
「では退いて頂けますか」
彼にキッと鋭い目付きを向けると、何ともないと言わんばかりの嘲笑うような笑みを返されて。
「阿笠博士なら今日は家に居ませんよ。子ども達を連れて出掛けていますから」
まるで私の行き先を知っているような口振りで。
それが嘘か本当かは知らないが。
「言いましたよね?」
黙る私をよそに、彼は淡々と言葉を続けた。
「着替えは数枚置いていった方がいい。後悔はさせないから、と」