第56章 それは
事務所まではそう遠くない。
車であれば尚更で。
「何かあればすぐに連絡してくれ」
「大丈夫ですよ、心配しないでください」
車を降りる前にも何度か言われたのに、降りて彼を見送る際にも再び念押しをされて。
くすくすと笑いながら、開いている窓から彼を覗き込んだ。
「零も、気を付けて」
「ああ、ありがとう」
名残惜しくない、なんてことは無い。
いつだって別れる時は寂しくて、離れている時間はとても長い。
いつもならキスで別れているところだが、今日はお互いそれを求めなかった。
今してしまうと離れるのが余計に辛くなる。というのも勿論あったが、それ以上に、お互い口には出さない願掛けのような物も少しはあって。
・・・また早く会えるように、と。
「いってくる」
「いってらっしゃい」
最後の言葉を交わすと、零の車はエンジン音を響かせながら走り去って行った。
何となく・・・あと数日は会えない気がして。
彼に言われた訳でも、確証があった訳でもない。
だけど妙にそんな気がしてならなかった。
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あれから三日経った。
零からの連絡は毎日あるものの、『今日も帰れない』という取り急ぎの連絡ばかりで。
この三日間、どこかへ出掛けることは無かった。
ただひたすらに部屋の掃除をしたり、指示された訳ではないが、事務所に置いてあった見知らぬ資料をまとめたりと、何とか気を紛らわせるようにして過ごした。
公安の仕事をしているんだろうか、それとも組織の仕事なんだろうか。
もし組織の仕事だったら・・・。
そこまで考えて、チラついたのは緊急避妊薬の存在。
何が目的かは知らないが、手段は選ばないというのが組織なんだろうから。
彼を使ってそういう事もしているのではないかと疑って。
ただ、そこまで考えた後に彼の、もう使わないし持ち歩かない、という言葉で何度も自分を言いくるめた。