第56章 それは
「そんなことを考えてたのか」
そんな事。
彼にとってはそうなのか、と思って半分拗ねたように彼の横顔に視線をやると、そこには嬉しそうに口元を緩ませる彼の表情があって。
それを誤魔化すように片手が添えられていたが、見せた一瞬を見逃しはしなかった。
ほんの少し驚いた時間を作ってしまったが、すぐに冷静さを保とうと視線を離して。
彼の傍に居れるだけで良いなんて思っておきながら、その欲望は口に出る程までになっていたのかと思うと、恥ずかしさで顔が熱くなっていった。
「ひなただって、まだ僕の知らないひなたがいるんだろ?」
その言葉には反論できない。
実際私が彼に言った事だ。
「だったらお互い様だ。これから少しずつ、知っていけばいい」
優しい声で、でも降谷零の威圧は保ったまま告げられ、逸らしていた視線は再び彼へと戻された。
これから、という言葉にどこか浮かれるような気分で、心拍数が上がっていく。
私は誰より彼との時間があるのだと思うだけで・・・体の熱を上げるには十分だった。
「そういえば・・・工藤邸から事務所に戻る時、連絡した方が良かったんですか・・・?」
その熱を誤魔化すように、問い掛けて。
もしそれが彼に怒られる案件だったとしても、今なら多少叱られた方が頭が冷えて丁度良いかもしれない、なんて思って。
「・・・するに越したことは無いが、あの辺りは公安の人間が張り付いているからな」
あの辺り・・・ということは、まだ昴さんを何らかの形で疑っているんだ。
それは、彼を赤井秀一だとまだ探っているのか・・・。
もしくは単純に昴さんを調べているのか・・・。
「基本的には、外に出る時は連絡してほしい。ひなたはすぐ忘れるから期待はしないが」
嘲笑うように言われ、再びムスッとしてしまって。
でもそんなやりとりが、どこか気持ちが落ち着いて、心地良かった。