第52章 居場所
『おやすみなさい』
「・・・おやすみ、なさい」
最後の挨拶を交わすと、ゆっくり終話ボタンを押した。
明日の朝から、彼にコーヒーを入れることも、こうやって挨拶を交わすことも、朝ごはんを一緒に食べることも無いんだと思うと、少し寂しくも思えてくるこの気持ちはなんだろうか。
どこか晴れない気持ちを抱えたまま部屋を出ると、何故か炊事場に零が立っていて。
「コーヒー、いりますか?」
「・・・はい」
彼の笑顔につられながら返事をすれば、彼も一層のそれで返してくれて。
零の入れてくれるコーヒーは美味しい。
同じそれでも、私が入れたものとはどこか違う。
「・・・私も、零みたいに上手に淹れたいです」
彼の傍で独り言のようにそう呟けば、零は手にしていたケトルを置いて何故か私の背後へと回った。
「フィルターは先にお湯を掛けておくと、その独特な匂いが移らずに済みます」
突然始まった彼の講習会に戸惑いながらも、クスッと笑いを漏らしては返事をして生徒らしく応えた。
「お湯は、こうして・・・」
私の手を取りながら、再びケトルを持って。
ゆっくりと注がれたお湯によって、中のコーヒーの粉達は、生きているかのようにムクムクと膨れ上がっていった。
体が密着すればするほど、心臓はドキドキと音を立てて速さを増し、零の話は頭に入ってこなくて。
こんな簡単に心拍数を一々上げていたら、心臓が幾つあっても足りそうにないな・・・と、ポタポタと落ちるコーヒーを見つめた。
「これで出来上がりです」
ゆっくり落ちていたにも関わらず、それは一瞬だったように思えて。
入れ終えたそれからは、いい匂いが部屋中に立ち込めた。
「明日からは、僕に淹れてくださいね」
それは昴さんにではなく、という言葉が隠れていることになんとなく気が付いて。
敢えて名前を出さないのは、彼のことだけ考えてほしいという、彼なりの思いなんだろうか。
そうであれば嬉しいという私の勝手な思いなのだけど。