第29章 尋ね人
「・・・っ、ん・・・」
せめてもの抵抗で、もう一度彼に噛み付こうとした瞬間、頬に添えられていた親指が口内に侵入してきて。
それを噛ませるように上下の歯の間に置かれてしまって。噛み合わせようにも指が邪魔で口を閉じることさえできない。
彼の指に少し沈む歯には要らぬ罪悪感が募って。
「は・・・、ぁ・・・んあ・・・」
その隙間から遠慮なく沖矢さんの舌が侵入してくる。
掴まれていない方の手で何とか彼を押し退けようとするが、案の定ビクともしない。
息では無くて、胸が苦しい。
こんな状況で、どこかこの先を求めている醜い自分がいることに、憎悪の念を抱いた。
「あ、・・・っんぁ・・・は、ぁ・・・」
離れた唇に、喪失感さえ出てきて。
こんな低劣な自分を透さんに見られたら・・・どう思われるだろう。
あの電話の一件で、もうそう思われているかもしれないけど。
「これで、僕の支払い分は頂きましたから」
勝ち誇ったような笑顔を見せられ、口内から指を抜き取られた。
いつの間にか私の手にはコーヒーの袋が握らされていて。
それを見つめながら、いつか自分から沖矢さんを求めてしまうんじゃないかという不安で、どうにかなりそうだった。
透さんの穴を沖矢さんで埋めることになれば、それはもうどちらの隣にもいる資格はない。
「・・・・・・っ」
もう一度手の甲で唇を拭い、壁に手を付きながら立ち上がって、朝食の準備を続ける沖矢さんに目を向けた。ここまで彼に気持ちを動かされていることに、単純に驚いて。
透さんが好きだという根本は変わっていないけど。
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「それでは、頼みましたよ。夕方には戻りますので」
「・・・お気を付けて」
気持ちの入っていない言葉を、玄関で彼を見送りながら吐き捨てて。
どうして彼を見送らなければいけないのか、なんて反発する思いはあるが、それ以上に受けた恩はある。流石にそれを仇で返すようなことはできなくて。
少しだけ仇で返してしまった自覚はあるけど。
「知らない人が来ても開けてはいけませんよ」
「早く行ってください」
子どもに言うように言われれば、当たり前のように苛立って。
玄関から半ば追い出すような形で、沖矢さんを送り出した。