第106章 ゼロへ
「・・・れい、わらって・・・」
笑える訳ない。
そんなのは分かっている。
でも最後くらい、笑ってほしくて。
「ひなた・・・っ」
私を抱える彼の手は小刻みに震え、その振動が伝わってくる。
その度、私の頬には彼の温かい涙がポタポタと落ちてきた。
「これ・・・かえすね・・・」
やっぱり、私が持っておくべきものではない。
将来、彼の前に再び現れるかもしれないから。
「・・・ッ」
感覚の殆ど残っていない手を動かし、なんとかポケットからそれを取り出すと、彼に差し出した。
「これはひなたの物だ・・・っ」
「・・・もっと、ふさわしい人が・・・いるよ」
彼から貰った指輪。
本当は持っておきたかったけど。
それは将来、彼の隣に立つ人に失礼だと思ってしまったから。
「それと・・・データの、こと・・・」
「もう喋るな!」
あれは最後に、私からの意地悪だと伝えておきたかったけど。
・・・それは開けば分かる事か。
「・・・ありがとう」
笑えているだろうか。
「ついてきちゃ・・・だめ、だよ・・・」
この頬に伝うのは、きっと彼の涙だ。
「ひなたッ・・・いくな・・・っ!!」
ああ、温かい。
ずっとこの温かさに、包まれていたい。
こういう選択しかできなかった私を・・・彼は許さないだろう。
FBIとの関係にも、大きな溝を作ってしまった。
ごめんって言うべきかな。
さよならって・・・言うべきかな。
きっとあの世でも、彼とは違う世界だろう。
だったら最後くらいは。
「・・・愛してるよ」
素直な気持ちだけで、十分か。
「僕も愛している・・・っ」
震える声で聞こえたそれに、笑いかけて。
今度はちゃんと、笑えた。
でも、きちんと彼の声が届いたのはそれが最後だった。
「ひなた・・・!!」
冷たくなっていく私を強く抱き締めながら、彼は何度も何度も私を呼んで。
「ひなた!!!」
海の上で、彼の声が静かに溶けていった。
そして私は、如月ひなたとしての一生を終えた。