第101章 知って※
「ではこちらからも一つ、お願いを聞いて頂けませんか」
紅茶の入ったカップを私の前に差し出しながら、沖矢さんはいつもの声色で、突然そう言ってきて。
「なんですか」
僅かに身構えながら背筋を伸ばすと、彼は視線を私から外さないまま、こちらへと近付いた。
「僕の、下の名前を呼んでください」
それは彼らしいものではあったが、予想外過ぎて。
呆気に取られていると、沖矢さんはフッと口角を上げた。
「今だけで構いません」
・・・この時、だった。
さっきから小さな違和感というのか、気になっていた事が分かった瞬間が。
沖矢さんと話しているはずなのに、どこかそうではない感覚を覚えていた。
彼は、珍しく抑え切れていないんだ。
「秀一、さん」
赤井秀一を。
沖矢昴に、なりきれていないんだ。
こういう時、普通ならば昴さんと呼ぶのだろう。
でもそれは少し、違う気がして。
「・・・俺は、君のそういう所に惚れたのだろうな」
どういう所だろう、という疑問はこの際置いておいて。
声は戻していないが、聞こえてくるのは赤井秀一の声のようだった。
「鈍いくせに、そういう所は鋭い」
カウンターに手を付き、片方の手で私の顎を上げると、グッと顔を近付けて。
「・・・何故、俺にしない?」
いつの間にか変声機のスイッチを切られ、声は赤井秀一に戻された中、そう問われた。
「赤井さんでは、私の中にある穴を埋められないからです」
分かっているくせに。
どうやったって、赤井さんには気持ちが向かないことを。
「試してみるか?」
「試したじゃないですか」
数ヶ月前、まだ沖矢昴が赤井秀一だと知らなかった頃。
あれは、最低だったと思う。
・・・無論、私が。
「赤井秀一では、なかっただろう?」
「どっちでも同じですよ」
どっちでも、結果は変わらない。
そう視線で訴えるように、真っ直ぐに赤井さんの目を見た。