第100章 ゼロで※
「久しぶりの、デートだ」
私の考えを知ってか知らずか、鼻先が触れそうな位置で、彼は優しい笑顔のままそう言ってみせた。
「・・・ッ」
そんな事をされて、心臓が無事なはずも無く。
痛い程にドクンとそれを跳ねさせては、誤魔化すように手にしていたスーツをハンガーへと掛け、急いでその場を離れた。
・・・悔しい。
こういう時の彼の余裕さには、歯が立たない。
そんな事は無いと零は否定するが、ああいう振る舞いができる時点で、その言葉には説得力の欠片も無い。
「デート・・・」
改めて、事実を噛み締めるように口にしては、心臓がいつもの速さを取り戻せるように深呼吸をして。
逃げ込んだキッチンの隅で、壁に向かって丸まる様に座り込みながら、段々と嬉しさが勝っていく感覚を覚えた。
「・・・捕まえた」
「!!」
その最中、背後から零の声が聞こえて。
振り返れば、私に覆い被さる様に壁に手をついて屈み込む、彼の姿があった。
「どうして逃げる?」
「じ、自分に聞いてください・・・」
思わず敬語で返しては、僅かに振り返らせた顔を壁の方へと戻して。
今更だとしても、だらしなく真っ赤に染め上げた顔を、見られたくなくて。
「分からないから聞いているんだが、な」
「ひゃ・・・ッ!」
耳もとでそう囁かれたかと思うと、パクリとその熱くなってしまった耳を口に含まれた。
それに驚き、体も反応を示し、叫ぶように声を上げてしまった。
軽いキスのようなスキンシップこそあったものの、忙しさやすれ違いでこの1ヶ月、触れ合いと呼べるものは殆ど無かったから。
そのせいも、あって。
「・・・その気じゃないか?」
もう一度小さく振り返れば、意地悪そうにも、寂しそうにも見える、彼の悪魔の笑みがこちらに向けられていた。
「・・・っ・・・」
その気じゃない時なんて無い。
彼からの合図があれば、いつでもそういうスイッチは入る。
・・・そうなってしまったのは、彼のせいだけど。