第98章 金輪際
「勝手な事言わないでくださ・・・っ」
至って真面目。
だからこそ、怒りが増してしまった。
何故、沖矢さんにそんなことを言われなければいけないのか。
そう彼に噛んでかかろうとした瞬間、私の手首を掴んでいた透さんの手が、するりと解けた。
「・・・透、さん?」
ようやく向けることができた視線の先には、俯く彼の姿が目に映って。
いつもの彼ではない。
明らかに様子のおかしい彼の姿が、そこにはあった。
「・・・この一週間、貴方に恩があるのは認めます」
静かに、でも大きな怒りを封じ込めた様な声で、透さんは言葉を吐いて。
「でも、貴方にそこまで言われる筋合いはありませんね」
そう言って顔を上げた彼の表情を見て、背筋が凍りついた。
鋭く、冷たく、痛い。
今まで見てきた彼の目で、一番・・・怖いと感じた。
「ひゃっ・・・!」
体が強ばって固まる中、私の腕を引き寄せたのは、よく知る冷たい手だった。
そのまま彼の腕の中に収まると、懐かしくなるような匂いに包まれて。
「僕は、僕なりに彼女を守る」
その言葉を、誰より近くで聞いて。
匂いのせいか、彼の温もりのせいか、言葉のせいか。
目から何かが溢れ出そうな感覚を覚えた。
「できると良いですね」
彼の胸に埋もれるような形になっているせいで、沖矢さんの言葉は背中でしか受け取れないけれど。
さっきのような真剣な表情ではなく、いつもの嘲笑うような笑みで言っていることは見なくても分かった。
その後、沖矢さんの存在が遠くなる空気と靴音を感じて。
「・・・・・・」
居なくなった。
それを感じ取りつつも、互いに声を掛けることも、動くこともしなかった。
人通りの少ない場所とはいえ、いつまでもこのままでは恥ずかしい。
でも、彼が動く気配は無く、私が動いても良いのか戸惑っている内に時間は静かに過ぎていった。
「ひなた」
・・・あ。
「は、い・・・」
ダメだ。
そう気付いた瞬間、何かが突然に溢れた。
「すまない」
彼に名前を呼んでもらえるのが、こんなにも体に染みるなんて。
「・・・っ」
彼の声が、全身に染み込んで。
如何にそれを待ち望んでいたかを、染み込んだそれが目から僅かに滲み出た瞬間、強く思い知った。