第94章 強制的
「そういえば、スーツの件はどうした」
「スーツ・・・?」
彼も話題を変えるように、置いていたマグカップを手に取りながら尋ねると、一口中身を胃に流し込んで。
「僕のスーツだ」
スーツ・・・。
何かあっただろうか。
クリーニングは少し前に出したばかり・・・と考え始めた瞬間、彼に頼まれていた事をようやく思い出した。
少し前、あの桜を見に行く時。
彼のスーツを用意する事を。
「そういえば・・・サイズを確認しようと思って・・・」
そこまではしたのだけど。
したのはそこまでだった。
「ごめんなさい・・・」
「別に謝らなくても良いが、早めに頼む。立て続けに何枚かダメにしてしまったんでな」
彼に頼まれた事を忘れてしまうなんて。
それも自分から言い出したことを。
・・・情けない。
「分かった。明日にでも用意しておく」
「頼んだ」
明日はポアロで仕事だが、それも午前中までだ。
そのまま買いに行けば明日には準備できる。
忘れない内に、早く済ませておかなきゃ。
・・・という判断を、誤ったと感じることになるとは思いもしなかったが。
ーーー
「さて、と」
次の日。
ポアロでの仕事を終えると、そのままショッピングモールへと向かった。
一人で来るのはいつぶりだろうか。
・・・多分、零がくれたワンピースを見た時。
それは今でも大事にしまってある。
ただ、あの時を思い出してしまうから、手に取ることは少なくなっていた。
あの、ミステリートレインでの出来事を。
「・・・うーん・・・」
そんなことを思い出しながらスーツ売り場でいくつか手に取っては、それぞれ形を確認していって。
なるべく動きやすいものを中心に。
彼が着たらどう見えるかを想像しながら。
スーツ姿の彼はいつも以上に目付きが違って。
決意や強い思いが滲み出ていて。
頼りがいがあるが、どこか儚げに見えて。
何か小さな衝動で、消えてしまいそうな。
そんな風に見えていた。