第90章 二人の
「・・・・・・」
何も言わなくなった彼に、何も言えなくなった。
ただ、床を見つめる彼を見守ることしかできなくて。
「・・・一つだけ約束するから、私とも一つだけ約束して」
そう声を掛ければ、耳だけは傾けてくれたようで。
「零の前からは絶対に居なくならない。絶対に」
力強くそれを伝えるが、彼の視線も目つきも変わることは無かった。
私からの約束が何なのか、察しているからだろうか。
「だから、もし私に何かあっても・・・」
誰も恨まず、ただ生きてほしい。
こんなにも矛盾した、都合の良い約束があるだろうか。
そうは思ったけど。
それを口にする前に、彼の手によってその口は塞がれていた。
「何かなんて、させるわけないだろ・・・ッ」
・・・これは罪だ。
彼にこんな顔を何度もさせてしまうなんて。
「・・・っ・・・」
これ以外の方法が無いことは互いに分かっている。
だからこそ、反発が生まれてしまっている。
どうすればお互いに納得できるかを、駆け引きしているだけ。
「零」
塞いでいた彼の手を外しながら、彼の名前を呼んで。
ジンからこの話がいつされたのかは分からないが、その時から彼は一人で悩んでいたのかと思うと、やはり自分は無力過ぎるのだと痛感した。
「公安の足を引っ張ることは、しないから」
・・・冷たい手。
「でも、零の足は引っ張るかも」
冗談混じりで言ってみるが、彼の表情は変わらなくて。
何と言葉を、掛けたら良いのだろう。
「・・・零はどうしたいのか、聞いていい?」
ここまでは私が一方的に考えを伝えた。
彼が反対だということは分かっていても、どうしたいのかは聞いていなかったから。
「・・・ひなたの考えが正しいのは分かっている。ただ・・・」
危険過ぎる。
口にはしなかったが、言わなくてもそう聞こえてくるようだった。
「ひなた」
暫く間を空けたあと、突然名前を呼ばれて。
こんなにも彼を弱々しくさせてしまった私は、本当に罪深い人間だ。